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≪元明清青花詳解≫新増再編しました。



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商品の詳細
中国陶磁 100%国内蔵出品
越窯青磁小坐仏
H140 お問合せ 仏教はいつから中国へ伝わったか?一番最初の文献記載は「後漢書」の《楚王英伝》に”為浮屠齋戒祭祀”一文でした。同文献の《東観漢記》にも”祀浮屠”との記載がありました。考古学上、四川楽山、内蒙古、山東、江蘇など地域で発見された石仏像や壁画は後漢の物とされています。仏教の教議は中国において普遍的に受け入れられたのは北魏、北齋の時代でした。多く金銅佛や大型石造佛像は発見されています。東京国立博物館東洋館にも陳列しています。

当品の保存箱に”六朝神亭”の識書きがあります。説明しやすいため、まず関連時代の記年順を下記します:
{前漢(西漢)→後漢(東漢)}→三国{魏、呉、蜀}→{西晋→(東晋、十六国)}→南北朝{宋→齋→梁→陳、北魏(西魏、東魏)→北齋→北周}→

《三国誌》の最後の章”三国帰一統”には、魏の司馬昭が呉と蜀を克勝して、”晋”へ改元し、三国時代を終結させた。晋はまもなく北方諸民族に襲われ、揚子江南岸へ退却して、しばらく”東晋”という小朝廷を維持した。その時、北方諸民族は混戦状態に落ちました。歴史上”五胡十六国”と呼びますが、実際には百以上の民族集落があったかと言われます。
時代 三国・呉 越窯
銘款
サイズ 本体高さ6.1cm。
黒檀彫刻台高さ:10.3cm
詳細写真A 詳細写真B
詳細写真C 詳細写真D
大陸北方の大混沌な時期は140年間が続いた。ようやく鮮卑族の北魏が北方を統一し、南北朝の時代を開きました。

南方の南朝:東晋はまもなく、宋、齋、梁、陳へと分裂して、戦乱が続く状態になりました。
北方の北朝:北魏が長い安定期の末、北齋と北周へ分裂した。
最終的に北周が中国全土を統一して、””へ改元しました。西晋滅亡から、隋立国まで405年、大陸民族大融和の激動期でした。
歴史上、の滅亡からが建国までの間、乱世中国の揚子江南岸地方にあった国を合わせて”六朝”で呼びます(三国時代の呉、東晋、南朝の宋、齋、梁、陳)。

越窯は秘色青磁の窯元として知られています。窯の所在地は揚子江中下流域南岸、現江蘇省鎮江あたり、春秋時代の越国でしたから名前を得た。三国時代には孫権の呉国の首都圏にある。呉の朝廷用陶磁器を製作していったと言われました。なお、東漢の古墓からも越窯原始青磁とされる遺品がありました。唐の秘色青磁は京都法門寺に数点が収蔵されています。中国は品は発見されていません。唐より以前の越窯遺品は近代の発掘品ですから、日本ではまず見れない品だと思います。
三国両晋時期の越窯青磁期は灰色土の地に灰釉質の青磁です。透明度と光沢はよいものでした。青磁の色は黄色帯か、灰色帯どちらかになります。釉薬の溜まるところは青く発色します。千度前後の高温磁器ですから、胎土と表釉の結合はよく、長い歳月で土に生まれていた状態としても、土沁や、磁貫が入りますが、釉落は酷くはありません。

本世記三十年代、イギリス考古学者A.D.Brankston氏は”六朝越窯青磁小坐仏”と”仏像付き越窯青磁壺”を発表、それは最初発見された越窯仏像です。50年代中国考古学者蒋玄怡は”晋青黄釉小坐仏”発表した。いずれも、独立した仏像ではなく、器物の一部の残片とのようです。そして、70年代江蘇省鎮江走馬山一号古墓古墓から、三国・呉小坐仏、三国・呉青磁谷倉2点が発見されました。谷倉の肩部に坐仏像があります。単独の小坐仏像とは同じ様式のものでした。

谷倉:日本は神亭と言います。明器です。谷倉についての詳細紹介は当店出品中の”南宋青白磁神亭”ページに詳細の紹介があります。

台湾故宮博物院学術季刊掲載の統計資料によると、今まで発掘されている古越窯青釉器に仏像付きの物は21点がありました。青釉器物に貼る仏像は1~3尊、谷倉上の仏像数は3,7,11尊それぞれあります。この資料から概算すると現存越窯小仏像は百尊を越えない。なお、”六朝”は漢民族集居地にして、その仏教の伝達ルートは、北魏仏教とは違うとの説があった。北魏北齋の石仏や銅佛よりも早い時期の古越窯の仏像は、中国大陸に於ける初期仏教の考証性、または初期青磁や考古学とも重要な遺品であり、国家1級文物です。

最後ですが、古越窯遺品の発掘記録から推理すると、当品は戦時中に日本へ持ち込まれた物だという結論に至ります。その様式は三国時代・呉越窯青磁であり、今までは約千七百年の光陰でした。
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北宋湖田窯影青雲気文剔笠碗
H139 お問合せ 青白磁は民窯品として一般の品々が多いですが、その中”影青”と称す”薄手”のものは景徳鎮の特芸品として骨董市場では人気は非常に高いです。北宋景徳鎮(当時は”饒州”と称す)あたりは最初定窯写しとして青白磁を焼いていた。湖田窯は有名のひとつです。北宋の青白磁は刻文するのは普通です。極薄手の茶碗を出現したのは北宋後期でした。南宋になると印文が流行してから、胎地も若干厚くなりました。

この品の壁の厚さは2mm足らずの超薄手は”脱胎器”と言います。胎がないようの意味です。碗内部中央および高台肩部釉が溜まるところから”蝦青” と形容する灰青色の釉面はぼんやりと青玉のような光沢が発します。碗内壁の刻文は”雲気文”という文様です(雲や霧の流れる様子を表す文様で、最初は後期青銅器と東漢古陶に見られる文様。)

北宋影青器の刻文は竹刀を用いた片切りでして、更に雲文の中央に竹の櫛で掻き文様を入れ、日本では”猫掻手”と呼びます。茶道には人気の文様です。
この品の繊細な雲気文は大変魅力的です。文様削りは上手かどうかは、北宋影青器の鑑定に大変重要なことです。
時代 北宋 湖田窯(景徳鎮)
銘款
サイズ 径18.7cm 高口径:15.5cm 高さ6.6cm
高台径:5cm 高台高さ約:6mm
口縁部厚:1mm強 壁部厚さ:2mm以下
笠形 重さ:193gさ4.1cm
詳細写真
湖田窯は影青器の用土は非常に純質な白い土です。雑質の多い土は薄いもの作れないからである。窯足の黒紫や黒黄土圏形の跡は必ず高台内に残ります。碗の中央に月のような丸い凹みがあります。この現象は、明の永楽窯の影青もあります。多分、轆轤支えの跡かと思います。手仕上げものは壁は弧線型で、幅のある旋状起伏感がします。薄手の茶碗だとサイズ揃いのため、必ず型に合わせて整型するので、行き過ぎた凸凹も要注意です。
本物は指で叩くと銅音がします。それは必ずと言えるほど北宋影青器の特徴です(文献の記載は湖田窯の影青窯の温度は1300度ですから、非常に硬い磁器です。)

最後この品に関して、特書すべきところは黄色沁みが多いです。これは”土沁”とよばれる高古磁器の常見現象です、出来るまで2~3百年が掛かると言われます。本物の土沁は表に出るではなく、表釉と胎地の接合面、つまり表釉の裏側にあるです。白い、黄色曇状なものが釉面内部に出来ています。土沁表釉の薄いところに出来やすいので、これほど薄いものですから、表も裏もほぼ沁みでいます。ただしい、碗中央部はまたそれほど沁みでいません。手で触ると分かりますが、薄い釉面に沁みが多い、このルールに守る土沁は年代によるものです。

この間テレビの”なんでも鑑定団”が”北宋の影青碗は2千万円する”と言ってましたが、確かにあれば特別な品位よいな品でした。昔日本へはほとんど輸入されていなかったから、相場も分かりにくい。ただいま中国の相場やこの品の程度や状態を考慮してこの価格を設定しました。ご希望やご見学は当店までご相談ください。

仮圏足に燻銀と思われる補強はしています(高台内縁部は内曲弧線削りですので、高台足端は薄い上釉は掛けない、”芒口”と呼ばれるギザギザ状態で出荷する、実用時傷付きやすいため、使う人はそのギザギザの縁部を金銀銅で補修強化する。昔の遣り方です。)
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錦地琺瑯彩折枝文瓶
D144 お問合せ 琺瑯彩と粉彩技法とも取り入れた作品です。清の乾隆年後期の琺瑯彩品の評価は一番高いです。清嘉慶年以降は琺瑯彩製品は陶芸史から消えました。遺品はそれほど多くはありません。この品ご覧の通り景徳鎮の薄手磁胎に、”錦地”と呼ばれる彩地に複雑な地紋を作り一度焼いてから、透明質な琺瑯彩を上絵して再度焼きます。すこしも手抜きは見つかりません。

色の過渡まで繊細に表現した。エメラル色と明るい粉彩が競艶する絶品です。装飾部は鮮やかな七宝顔料は一層豪華さを感じます。上下縁部、銘部には金彩装飾。これほど明るい、繊細な作りは当時の銅胎七宝にも見られない上品さがあります。当時皇室専用の磁器になります。
時代 清乾隆年 内府製
銘款 底部金地赤絵銘
「大清乾隆年製」
サイズ 高さ24cm 胴径12.8cm
詳細写真
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闘彩合子一対☆香合
D121 お問合せ 人気高い闘彩器です。清楚な染付発色と落ち着いた釉上彩色の相性はよく、成化闘彩の極意を感じられる一品です。今の言葉で表現すると”癒し系”です。造形端整、縁部や圏足の削りは丁寧です。遺品のすくない咸豊年の銘を使っています。
時代 清咸豊 景徳鎮窯
銘款 「大清咸豊年製」銘
サイズ 胴径約9.7cm、高さ約4.8cm、一対
詳細写真
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天藍釉暗刻雲蝠文瓶
D159 お問合せ 清≪陶雅≫には”天青一種以康雍為美”、
清≪飲流齋説磁≫には”雍正時之天青興天藍無甚差別、此時製器又往往書成化款也。”

この品は雍正年製の天青釉です。色調は白み掛かっている天の青色ですから、”卵色天青”との別名があります。清の天青釉器にはこの時期のものの評価は一番高いです。天青釉の調色上、呉須を使用しているため、日本では瑠璃と呼ばれます。非常に綺麗な色です。

なお、雍正年は成化写し落款が多い、該当品の落款の書き方は、雍正窯成化写し落款と同じ人が書いた字と当方が認識しています。詳細写真の最後にご参考ください。
時代 清雍正 景徳鎮窯
銘款 底部染付銘「大清雍正年製 」
サイズ 高さ22cm、胴径約11cm
詳細写真
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染付弦文薄手小杯
H159 お問合せ この品について、本一冊を書けると言うとも過言ではありません。これから、世に注目されることは間違いありません。ここでは、長文できませんから、当店鑑定意見の重要な部分のみ説明します。ご購入検討の方はぜひ当店までご見学いただきたいと思います。

①極薄手の磁器は胎土は見えないほど薄い、”脱胎器”と呼びます。明永楽官窯の”半脱胎薄手小杯”は最初で最有名です。ほとんどの明清古陶磁文献に記載されています。遺品は見つかったことがありません。北京や台湾の博物館にある永楽官窯手染付小杯数点と残片は、脱胎手のものではありません。
脱胎器を作る工法は:まず轆轤で素地を成形します→内面に白釉を掛ける→乾燥→外壁の土を削り取る→高台削り→染付→外面に白釉を掛ける→乾燥。
この工法は明永楽御窯厰官窯が創立した技法と言われます。器の壁面を1mm以下の薄さへ削ることができます。特に縁部は釉薬のみの状態になる。しかし、器の底面が高台を作るため、若干厚地が残りますから、器の半分が胎土がないという状態になりますから、”半脱胎”と呼ばれます。
時代 明永楽前期 景徳鎮御窯厰
銘款 染付単線環
サイズ 高さ3.7cm、口径7.2cm 底径約2.6cm
詳細写真
②杯の形は明初期の折腰杯と言います。伏せ状態で外壁面や高台を削りだすため、外壁の下縁部の曲線は硬直であります。宋~明初期までの杯碗はこのような成型工法がありました。成化年に流行したものは腰は少し丸めです。この外壁整形工法のもう一つ現象は器の内部中央に丸い凹みができます(轆轤の下の支えだともいます)。この現象は明永楽宣徳景徳鎮官窯現象の”丸月底”と言います。この品のばあいは、小さいため、内面底部はほとんど、平面状の丸い形になります。中央は軽く凹みます。

③明早期の染付風格は元青花の煩雑な文様から一変して、留白の多い絵付け文様が好みます。その極端的シンプルな様式は、単線弦文であります。明洪武~明永楽宣徳年の様式です。宣徳年景徳鎮官窯は双線弦文の飾り方法が始まりました。宣徳年以降はほとんど双線弦文になります。明初単線弦文の杯の遺品は文献の記載がありますが、実物はどこにあるか分かりません。この品は景徳鎮最初の単線弦文様式である同時に、世に登場する最初の実物参考品でもあります。
非常に興味深いことや、高台内部に絵かれた”単線染付環”については、装飾の意味が弱い、装飾としても類がみないものです。一種早期的な官窯銘と考えられます。(表釉も永楽官窯の甜白手ですから、民窯ものとは一味は違います。)

明後期~清早期には、”記年銘を禁止した”特定な時期に染付単線環、或いは双線環の絵銘を官窯銘として使いました。特に康煕早期官窯の双線環は良く知られています。もし、この品の年代判定は正確であるとしますと、双線環の官窯銘のルーツは永楽年御窯厰の単線環にあり、それも官窯の記銘方式しか考えられません。

④釉面や素地の焼成状態は明洪武年の特徴が強い、これも宣徳ではなく、永楽前期のものとして認識した一要因であります。元青花のような青味の強いどろどろした白釉は垂れています。表のほぼ9割以上は風化されていますので、光の反映や手触りはぼさぼさな感じがあります。口縁部のガケからや、光に照らすと、壁部は脱胎な様子です。高台足の欠けから、地土は明初特有な暗い素肌色の土です。

⑤高台には削りの跡は顕在、高台足は修正はしていませんから、尖足状です。明早期の”枇杷黄色”の火焼色が呈じます。染付の呉須の発色は精錬国産呉須と認識しています。特に下部の呉須は泡の多い釉層へ暈けています。

現存する永楽年御窯厰の遺品は、傳世品以外の物は70年代の御窯厰発掘に出たものであり、ほとんど北京に保管されています。この品の状態から見れば発掘ものであります。私は国内地方の古道具商から、”古染付猪口”として購入したもので、中国から流れてきた経緯については一切分かて降りません。中国古陶磁史上重大な意味を持つ一品ですから、価格の高低は重要ではないと思います。
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炉鈞窯筆洗
D184 お問合せ 宋鈞窯は銅紅釉窯変を利用して、青、紅、紫三色を交融して、流れる美しい発色を作り出した。後世の辰砂器など紅色系の窯変釉のルーツになる窯です。明の末~清には鈞窯釉は中国三つの地方で復興されました。宜興の宜均、景徳鎮の炉均と広東石湾の広均でした。
面白いことは宜均窯の製品は多く日本へ輸出したため、日本ではおなじみのものですが、宜均と呼ばれる品の中には実は多く広東製の広均が混ざられています(宜均と広均はいずれも陶器ですので、中国では”土均”と呼ばれる)。
時代 清早中期 景徳鎮窯
銘款
サイズ 本体高さ約3.5cm 左右幅約10.8cm、
詳細写真
炉均は伝統有る景徳鎮の優品が多いので,地は高嶺土の磁器です。鈞釉の窯変色のこのみは清の前期には宋鈞の紫色窯変(バラ色や霞色と呼ばれる)を好み、中期には紅色窯変を好む。後期には純色のような青色基調をに星のように点在する窯変になる。清の後期に発生した鈞窯の風格は現代まで引きつかれて、大量生産されています。そのなか造形的藝術性の高いものも多い。今骨董市場によく見られる品です。
この品は、厚釉掛け、流暢に流れる青と霞のような紫の発色は美しい。清早中期の風格です。宋鈞窯風格を念に置いた精作だと思います。大変な値段になりそうな優品です。
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南宋景徳鎮窯青白磁日月壺
H129 お問合せ 中国揚子江下流域に、南宋の時代の墓から、この奇妙な造形の壺が見られました。頸部分は人や動物などいろいろ造形のものが付きます。中国名は”魂瓶”です。ほか、帰依瓶、皈依瓶、日月壺など呼び方もあります。日本には“神亭“との名前があります。考古学上はその用途から”谷倉“と名を付けました。これらの名前は昔ながらの名前ではなく、発見された時に付けられた名前ですが。

漢の時代の明器“緑釉谷倉器“はよく知られます。隨葬の時”谷倉”の中一杯谷を入れて起きます。ほか陶製の豚小屋や鴨など色々あります。先人はあの世に於いてもこの世と同じような豊実的な生活を送れるための願いを表しています。漢文を摘要すると「取子孫繁衍、五谷豊登、六畜繁息之意、以妥死者之魂、而慰生者之望」であります。

両晋三国の時代になると”谷倉器”は段々大きくなります。其の故か、肩以上の部分はスペースの余裕ができ、豚小屋や家禽の人形も一緒に載せちゃいました。それでも物足りず、座仏像や、祭り人形、孝子の造形もありました。
時代 南宋 湖田窯(景徳鎮)
銘款
サイズ 高さ(台付き29.3cm、本体25.7cm) 最大胴径約9.5cm
詳細写真
其の後の隋唐時代は、多民族文化を旨く融和した時代として知られていますが、三彩の壺(谷倉)や馬、駱駝、胡人、龍など文化を求める装飾性強い明器は登場しました。この時代から、明器の壺には谷穂を入れていなかったことは言うまでもありません。

宋の時代になると”谷倉”に載せる人形は鶴や龍になります。立仏像と神像とも出ました。あの世に於いての考えは、仙境理想郷への憧れに転びました。そして、元の時代の”谷倉”ですが、いかにも豪放した蒙古風格の造形していたが、何気なく龍を一本載せていたが・・・この器からそれぞれ時代の民の願うことは一覗できます。

この品の作りを見てみましょう。南宋景徳鎮(湖田窯)青白釉です。元々蓋があったかと思います。上部は大分風化しました。凹みの部分は釉が残っていますが、残釉から、十分足りるほど、宋の青白釉人気の源泉でもあるかの玉質感を体感できます。胴体下部には半分ぐらい表釉が残留した状態で、釉層は薄いので、若干黄味になった白磁の感じがします。頚部螺旋状の”柱”の形です、龍一本を柱に回っている。龍の上は曇があります。龍の下の人形は七尊仏像です(頭上は”肉髻”が見られます、発掘品上の仏像は古代仏像として大変珍重されています)。谷倉はなぜか2段造形しているか今だにまた満足できる解釈はありません。

古代から壺は仙人の住処とされていました。禅 語“壺中日月長”、“壺中天”とあり、その出典は“「後漢書」の費長房伝“には“壺に住んでいた仙人に誘われ、壺中の仙境に入り、2,3日を訪ねでしたが、世にはすでに十数年が立ちました”との神話があった。その教えは“世が悪いなら、自分なりの世界に没頭すればよい”と精神的な解脱を説く。この喩えから、谷倉は神亭、或いは日月壺の名を得ました。茶道の祖の千利休が“待庵”を作ったのもこの思いか、小さな茶室は茶人としては一つの宇宙に違いありません。
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白地赭墨彩梅文皿
H109 お問合せ 明の磁州窯の墨絵器の中、ダントツ格式高い、赭彩と墨彩併用の品です。梅文の描きも文人趣味で大変上手です。墨絵だけのものは遺品が多いですが、赭彩(赭土)を用いて花を書いたものは非常にすくないですから、故宮博物館にも収蔵されるほどの逸品です。(最後参考写真あります。)

日本国内の美術館から譲って貰ったものです。最高の明磁州器として認識しています。
時代 明 磁州窯
銘款
サイズ 径23cm 高さ約4.5cm
詳細写真
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五彩獅子唐草文壺
H114 お問合せ 五彩器に各種繊細な地紋を描くことは明の嘉靖年から始まった風格です。この様式は後清の時代の錦地粉彩の先河を開いたと言われます。なお、この壷のような緻密な唐草花文様様式も嘉靖年の流行で、明早期官窯青花器の様式をまねした民窯五彩風格であり、万歴赤絵の風格形成に貢献した。
明嘉靖年五彩描きは”錦紋夾花”様式を創立したですが、用筆高古、それほど丁寧ではございません、古拙も感じとれますが、しかし、下手な描き手などなかなか真似できない活発な風格があります。そのため、明中後期の五彩(赤を多く使ったため、日本では古赤絵と呼ぶ)は歴代の収集家に”夏鼎周彜”ほど珍重されています。

この品の絵付け技法的には基本は元紅緑彩の”線描に色埋”方法を継承しています。若々しい緑、朱色調の礬紅彩と蜜蝋黄色は何れも発色純正であります。胴体に俗に「獅子花」と呼ばれる、踊る獅子と唐花草地紋、更に頸部と底縁部に繊細な地紋に蓮のモチーフ文様。非常に時代感のよい一品です。
時代 明嘉靖 景徳鎮民窯
銘款
サイズ 最大胴径約14cm。高さ約18cm
詳細写真
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「漁樵耕読の図」小皿
H116
お問合せ 清代康煕年中期の染付けは雲南省産呉須の”珠明料”を使用していった。”翠毛青”と呼ばれる翠青色のの発色は異常に鮮明で明るい、しかも焼き上がりは落ち着いた色調ですから、清時代青花の代表作として評価されています。絵付けの”漁樵山水晴耕雨読”柄は清の康煕年の定番絵付け様子で、特徴としては、”山高水長”や、人物は側面で描くなどあります。小品でありながら、大器を圧倒するオーラーがあります。
時代 清康煕 景徳鎮窯
銘款 絵銘「霊芝」
サイズ 径14.3cm 高さ2.5cm
詳細写真
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鈞窯青釉胆瓶
H134 お問合せ この壺は”懸胆”の形から名前を得た、中国は「胆瓶」と呼びます。中国古代の花瓶は基本的に銅器ですが、陶器の瓶はほとんど酒壺でした。しかし、胆瓶は特別な例でした。
唐の時代鈞窯系の窯から花瓶として始作した。簡潔素朴な胴体曲線が、古典の美として認識され、宋の時代では花を盛んだ。今世まで花瓶の定番として人気が高い。宋の文献《飲水詩箋校》には”南枝開早粉芯弄香…便須折取帰来,胆瓶頓了”一句があったから、胆瓶は当時定番の花瓶であることは分かった。

この品は胆瓶の元祖鈞窯のオリジナル商品になります。北宋鈞窯特有な現象としては、口縁部青紫色、鈞窯青釉に穴多い、足部に釉垂れ、底部は”蟹甲青”現象があります。

骨董市場では、鈞窯器に置いては紫色窯変の或る品は価格は高いようですが、実は近代になってからのことですが、昔はこの品のような素な感覚を高雅とされます。自然窯変は好まなかったらしい。
時代 北宋 鈞窯
銘款
サイズ 高さ約26cm、口径7.3cm、
胴径約14.3cm
詳細写真
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祭紅瓢箪瓶
H137 お問合せ 祭紅とは紅釉の特殊の品種です。明永楽宣徳年を掛けて初創しました。明正徳年に祭器に用いたため、“祭紅”とよばれました。
祭紅色とは“紅くして艶麗しない、色調が深く度を過ぎない、均一して垂れ込まない、磁貫はない、朱霞のこどくにして、万世の名品に”と言われます。今の言葉で喩えると、普通の紅釉は“ファッション”感覚ならば、祭紅は“フォーマル”という感じです。深い赤に緘黙な艶がシーンと感じられ、穏やかで、粛然な雰囲気があります。それは、祭器として使われた理由であります。
祭紅技法は難しいですから成功率は百分の1と言われます。釉薬の配合には珊瑚、宝石、黄金、珍珠など使われていた、とっても高価だった。明宣徳年以降、好いものは造れなくなった。万歴年以降は姿を消えました。清康熙後期朗窯により祭紅釉を復元する努力をしましたが、一味違う”朗窯紅”が出来ました。乾隆年になるとやっと宣徳年近い発色のものができましたが、清乾隆以降再び祭紅の技術が失われ、清末の光緒~民国は祭紅の写しが出ましたが、ほとんど落ち着かないガラス質の釉のものでした。
この品の発色は宣徳年の祭紅、宝石紅です。各年代の祭紅参考品を下記いろいろ掲載しておりますので、比べて見てください
時代 明宣徳~万歴 景徳鎮御窯
銘款
サイズ 高さ21.5cm 最大胴径10cm
詳細写真A
詳細写真B
詳細写真C
この品は明のものとして鑑識の理由は幾つかお話します。
やや黄色気味の底釉、”米湯底”と言います。圏足は平削りですから、圏足内部は閉じこまれたため、底部まで掛かる銅紅釉は焼成中に酸化不足になりがちで、やや黄色味か林檎緑味になります。
米湯底現象については、清の文献<陶雅>第四十一に説明があります:“祭紅瓶盞之底。略分二色。微緑者。頻果底。曰宣德也。混白者。米湯底。曰萬歴也。又有開片不開片之分;大体蘋果底。罕有不開片者。惟皆無款項,郎窯亦然。
つまり、宣徳年祭紅は底がやや緑味、万暦の祭紅は若干黄色気味です。緑味の底部は大抵磁貫があります。祭紅器は皆落款はしません、朗窯も同じです。
しかし、陶雅が言い及ばした”万歴祭紅”は今の考証によると宣徳年以降よいものがない、万暦年は祭紅器は作っていなかったようです。可能性としては、陶雅の作者は宣徳年の米黄色底の祭紅を万歴のものと誤認したではないかと思います。もともと黄味か緑味か、銅が酸化不足程度の問題ですから、大まかに明宣徳年前後の祭紅器と朗窯の紅釉器にはこのような現象があるは共通の認識だ。しかし、この品を高台裏と口縁の白い部分がきらきらと微妙に緑艶があります。瓶頚内部に覗いて看ると”林檎緑”色になっています!。一応林檎緑か米湯黄の窯変は同じ窯で発生してしまう現象だとこの品から見れば実証できました。
もともと乾隆年官窯の祭紅色は宣徳色に近いですが、しかし、圏足削りは丸めですから、米湯黄現象はない。口縁部に白くなる”灯草辺”現象については、朗窯は白釉を塗って明宣徳器を真似したであったため、この品のように白みの中も一線の銅紅が見られることはない。つまり、宣徳以外はないです。(上にも紹介したですが、晩清~民国の祭紅写しは失透明性のガラス質です。)

この品は底部の削りはとっても丁寧で綺麗すぎではないかと思う方が居るかもしれないが、明の早中期の官窯はいい土使っていたため、削りも清早期の朗窯より丁寧ですもの、祭紅以外の官窯参考品からも結論できます。同じような現象は宋の景徳鎮にもあります。北宋のものは南宋のものより繊細で硬いです。先の者は上層風化度高い優質粘土を使ったためでありました。

宣徳紅を写した朗窯紅はよく出来ているから、自身は名品とされています。宣徳祭紅は中国国家級博物館以外は看ることはできません。日本も所有していないほどの絶世の名品ですから、最初はそこまで考えられませんでした。前の所有者は清の辰砂と言ってますが、その黄色底から当店最初は遺品の多い朗窯紅と認識しましたが、よく看るとやはり朗窯紅器の特徴に合わない部分が多い。最終的には宣徳祭紅の特徴と照らし合わせるとぴったりしましたから、自分もびっくりしています。古美術商としてはこれほどの名品が手に入れることは幸せに感じますね。
中国は朗窯紅の宣徳紅の特徴を掴む諺があります。”脱口垂足朗不流”と言います。解説は福縁堂東洋美術→古陶磁鑑識のTK.39項目ご参照ください。

朗窯紅にはいろいろ色調があります、ご興味のある方は福縁堂東美術館→中国古陶磁大系→紅釉へご参照ください。

中国は瓢箪を”葫芦”言います。発音は”福禄”と同じですから、縁起のよいものとして古くから親しまれる瓶の形です。この品は宋龍泉窯以来の瓢箪基本形になっています。明の宣徳~万歴年にしてもよろしい形になります。清の時代になるとやはり瓢箪瓶の形も変わりつづであります。
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松石緑粉彩花卉菓子器
H147 お問合せ ”松石緑”とは緑松石を原料とする色絵絵具ですが。清の康煕年に焼成されてから、雍正、乾隆年に盛期を迎えて、晩清まで製作されています。技法的には粉彩に帰属します。純正な発色を出すのは非常に難しいから、市場価格も白磁粉彩器より高いです。

清早期三代の松石緑器の多くは白釉の代わりに、単色磁器、色絵磁器の底色として使っていましたから、”色釉”として認識されている場合がございます。乾隆年以降は”緑松石”は一つ粉彩絵具として絵付けに使う場合は増えました。

この品の松石緑は発色安定で均一、釉面は若干波打ち現象があります。絵付け風格も繊細で、留白が多い。洋彩風格ですから、総合判断して、乾隆年初期のものです。丁寧な作りです。
時代 清乾隆 景徳鎮御窯
銘款 高台裏青花鉄線款「大清乾隆年製」
サイズ 高さ:7.5cm 口径:17.5 高台径:7cm
詳細写真
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青花鉄線花文平茶碗
H166 お問合せ 青花は土青と呼ばれる国産呉須、発色灰藍。絵付けは”一筆点画”と呼ばれる明早期の技法で、筆一つで画点描全てこなす。この文様は”鉄線花”ですが。後、明清の染付器定番な古典様式の”纒枝文”の早期様式です。景徳鎮御窯厰発掘の明洪武~明宣徳の民窯碗には、そっくりの文様が描かれています。(詳細写真最後)

型は基本的に背の低い、広げた圧手杯の感じです。”圧手杯”は手に持つと、縁部はちょうど手に掛かっている状態から、名前を得た。明永楽官窯の圧手杯は文献に記載されていたため、非常に有名ですが、背がこの品より高い、径も小さいから、上等な飲み方をする人の器ですが。民間の場合は、小さい茶碗のような感じで、片手持てる濁る酒を飲むには使いやすいと思います。
時代 明宣徳初期 景徳鎮窯
銘款
サイズ 高さ約4.3cm、口径12cm 底径約4.5cm。
詳細写真
もともと元の遊牧民はミルク酒を飲む時、このような片手で持つ背の低い碗があります。別名”オッパイ鉢”。高い足を付いているものもあります。

成型工芸的には元の時代の轆轤をまた使っているようですが、適度な厚さで、火焼紅も少ないため、民窯としては、土は好い方です。高台足は軽く内向けます。永楽年の特徴ですが、粗細双線弦文は宣徳年からとの説もありますから、宣徳早期の民窯ものとして認めます。

明初期の民窯青花遺品は破片以外、形が揃えっているものは官窯傳世品よりもすくないです! 日本で言えば”初期伊万里”です。なお、該当品の造形工芸や様式から”元民窯青花”と認識される方も多いかと思います。特に高台裏の工芸は遅くでも、元末明初かと思われます中国の骨董相場は100万円~200万円になります。しかし、当方は絵付け特徴は元とは認めず、宣徳初期までと保守的意見です。)
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鈞窯紫色窯変鉢
H152 お問合せ 宋鈞窯を評価する言葉ですが、”窯変為神、迸磁為奇”。
紫色の窯変は風貌として、磁貫のあるものは珍しいという訳です。

この品の窯変は北宋鈞窯の濃紅(葡萄色)と金代鈞窯の紫色(玫瑰色)の中間にあります。一般的には”酔芙蓉”と形容するものです。

宋鈞窯の窯変色は全身に汗が沁みるような具合ですが。元の時代は紅斑状になりますが、紅色の発色も”肝紅”と呼ばれてあまりそれほど精彩ではありません。
時代 金(南宋) 
銘款
サイズ 口径約12.4cm、高さ約8.6cm
詳細写真
”迸磁”とは磁貫のある宋鈞窯を指す特別な言葉です。この現象は非常に少ないです。
その磁貫も氷裂紋や、魚子紋などさまざまな綺麗な状態に変貌するから、宋鈞窯の磁貫ものは”天下の奇観”と言われます。

中国骨董業界には”鈞汝不分”という言葉があります。宋鈞窯と宋汝窯はいずれも官用青磁窯で、窯跡も近い場所にあるから、使う土や石の材料ほぼ同じものです。氷裂層状の磁貫は汝窯としては有名ですが、この品から、汝窯器の面影も伺えると思います。

造形的には、もともと茶碗ではなく、”束口缶”と呼ばれる鉢でありますが、大きさ的には茶碗としてぴったりであります。明代早期景徳鎮の名品”圧手杯”の原型は宋鈞窯にあると言われています。清の文献《陶雅》には“宋代鈞窯压手大杯,细腹半趺,亭亭玉立”との記載があります。

私は、この茶碗の窯変状態は造化そのものと感心します。まるで酔美人の顔そっくりですから、そのまま”酔芙蓉”との銘を付けたいと思います。
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青花五彩龍紋蓋物
H151 お問合せ 万歴赤絵風格は嘉靖年に形成されたとも言われます。大抵嘉靖後期から万歴のこの品のような風格の釉上五彩は「万歴赤絵」と呼ばれます。

明五彩の発色は、緑は若々しい、赤色は鮮明、黄色は艶がよいです。そして、絵付は留白はすくない、古典的な絢爛な雰囲気がします。

この品は大香薫であります。蓋には透し彫りしています。飾り物や香薫としてつかっていったものかと思います。手ごろなサイズで、リビングや書斎など置きやすいと思います。万歴赤絵好きな方にはぜひお勧め一品です。

同類品は中国の博物館には見られます。国内蔵のものもあると聞いて降ります。ただしい、この品の名は”大明万歴年製”ではなく、”大明嘉靖年製”に成っています。紅色の色調は軽く嘉靖風な傾向があります、染付けやほかの色調は万歴赤絵とはまったく区別が付きません。
時代 明嘉靖 景徳鎮窯
銘款 染付銘「大明嘉靖年製」
サイズ 最大径24cm、高さ約12.8cm。
詳細写真
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三彩陶蒜頭瓶
H154 お問合せ 中国明後期に南方に作られた三彩陶器です。福建、広東、台湾、ベトナムあたりは昔の名前は”交趾国”でしたから、日本はこのような品を交趾焼と呼びます。
交趾焼の工法は元末明初めに景徳鎮の”法華”と呼ばれる元末明初三彩陶の作法を継承していたと思います。元法華の唯一な遺品は東京国立博物館にある大壷です。明の時代に入りますと景徳鎮は磁器の三彩釉(素三彩という)を作り始めましたから、法華はなくなりました。しかし、法華の技法は南方の窯に継承され、清の時代まで焼き続いた。

明後期に日本との貿易は主に中国南方の港で行われたから、交趾焼の茶道具は多く日本へ持ち込まれました。茶道に珍重された上、交趾焼技法のお掛けで日本の陶芸史は輝き新しいページを開きました。それから楽焼や、源内焼、江戸後期の御庭焼など数々の彩陶名窯が誕生させました。だから、日本人に依っては、素三彩よりも交趾焼の方は親しみです。
時代 明万歴~天啓 交趾焼
銘款 掻き銘あり
サイズ 高さ:約22cm 最大胴径:約13cm
 底径:約8.8cm
詳細写真

明三彩陶の皿はたまに見られますが。花瓶はなかなか見られません。
蒜頭瓶は宋の時代に浄瓶(水瓶)として作られています。宋の時代の蒜頭瓶の口は大きいです。明の後期の万歴年~天啓年あたりに、蒜頭瓶の様式はシンプルになります。この品のように口は少し膨らませただけであります。中国では、水瓶ですが、日本茶道の場合は、杓子立てとして使っていたと思います。現代に伝わる古く茶道の杓子立ての原型はこの品であるかと私はそう思います。

この品の魅力は紋飾も多彩であります、浮き彫り技法ですが、文様は時代特徴ははっきりしています。陶磁紋飾研究者にとっては大変めでたいものであります。
上段の梅枝は高潔の意味、中段の鳳凰牡丹は富貴円満の意味、下段の蓮と鷺鳥は”一路連昇”を喩え、高昇の意味をする。
ほか、珍しくでも、底部に掻き銘を入れています。
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五彩三果文小壷
H156 お問合せ この品は有名ですから、中国には決まった名前があります。「順治五彩三多壷」といいます。
清順治年は明の最後の崇禎年が消滅後、清国は北京を納めた年であります。その時、南方の景徳鎮はまた明の勢力範囲にあります。この時期のものは清とは言えず、大まかに明末清初と言います。戦乱中と言う意味であります。
文様の桃、石榴と仏手は”三果文”または”三多”を言います。明宣徳年発の文様ですが、子孫繁盛の意味あいです。地文は明嘉靖以来民窯赤絵の様式しています。この”三多文”の赤絵壷様式は明崇禎年~清康煕早期(順治年次の年)に典型的な民窯赤絵様式として、中国陶磁史上、明後期民窯赤絵と康煕中期から形成された”康煕赤絵”の間に、承上啓下の役割を果たしていましたため、数多く中国の考古誌や博物館に取り上げられました。だから有名です。

この時期の赤絵の特徴は絵付け風格は、用筆老成有力、発色対比鮮明。表釉光沢強い、遺品は相当少ないので、なかなか目に掛かれる機会のないもので、分からない方も多いと思います。ぜひ、この機会で写真のご鑑賞だけでもどうそ!
時代 清順治
銘款
サイズ 高さ:約13.4cm 最大胴径:約13cm
 底径:約8cm
詳細写真
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白磁盤口小壷(傳世品)
H157 お問合せ 中国の白磁は本当の意味上の白い釉薬ができたのは明後期の万歴年です。伝統白磁の唐白磁や宋白磁はどれも、黄味や青味のある透明釉であり、下層の白い土や白化粧を頼っています。明永楽宣徳期には景徳鎮は甘い感じの白磁が出来まして、それも後代から評価すると”蝦殻”といわれるほどの青味が強いです。清三代には純白の白色の釉薬を焼成した。だから、白磁の鑑識は難しいが、この歴史が分かれば、判断しやすくなります。

古代の定窯はなぜか有名かと言いますと、当時は世界一の白いでした。明代には福建省あたりの徳化窯はその土は白いため、景徳鎮より一歩早い真っ白の磁器ができたから、それも有名です。なお、明末日本へ呉須赤絵器の輸出で有名になった章州窯も福建省の窯です。章州窯も徳化窯より早い時期で定窯写しの白磁器を作っていました。ちなみに、明の時代の景徳鎮は自分流の”甘い白”を専念しているようで、宋白磁の写しは非常にすくないです。
時代 明中期 漳州窯
銘款
サイズ 高さ(台込み)12.8cm 
本体高さ11cm、最大胴径約6cm、
高台径:4cm。
詳細写真
今世紀40年中、中華民国政府は台湾へ遷移の時、北京の故宮博物館の遺品を運ぶ時、皇室の書斎にある大きな引き出しから、玩具のような小さい陶磁器を百点以上見つけました。これはほとんど古代ものを小さく写したもので、歴代の王様は書斎の遊びものでした。このことから、清の貴族や高級文人達ちは、こう言った玩具が文人趣味として流行っていました。歴代の窯の工芸は上達すると、このような極上な写しを献上していました。

この品の形は、北宋定窯に良く見られる盤口壷を小さくしたものです。地は堅実で、白い化粧した後、定窯流の軽く黄色味の透明釉薬を掛けた。象牙白とも呼ばれる白色です。成型や高台工芸、釉薬の具合など見ると明万歴よりすこし早い、台湾故宮博物館や中国に保存されている明代章州窯の白磁遺品と方々面々比較した上で、同じ時期の章州窯のものと断定しました。
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白磁七寸皿
H170 お問合せ 明初の永楽宣徳窯は景徳鎮伝統の青白磁から脱却して、一層の白さが見せる白釉ができました。また青味が強い半透明のものですが、ほんとの真っ白の白磁ではございません。そのため、陶磁の陶工はそれを”填白”、或いは”添白”と呼んでいました。この言葉は民間に伝えると同音漢字の”甜白”に転びました。何れも”てんばい”と発音する。

この盤と同じ造形と寸法の”宣徳甜白盤”は故宮博物院に何点か展示されています。展示品より、この品は形の歪みや古窯の痕があります。永楽宣徳年の官窯手白磁は落款しないのはほとんどです。永楽期の官窯手白磁盤の底部に素地のままのものもほとんどです。だから、この時期の無落款のものは官窯かどうかの判定は、制式や寸法と土の良さや、仕上けの丁寧さで判断するしかない。
時代 明 宣徳窯
銘款
サイズ 口径約20.3cm、高さ4cm 底径約11.6cm
詳細写真
階級社会ですから、形や色で階級品を付けますから、この品の制式は宣徳年官窯に見られます。ただの民用品とは考え難しい。宣徳窯製の普通な官用品であるとは認めます。

去年、中国の何個かオークション会社が”宣徳白磁盤”を何点か出しました。評価額は約100万円前後ぐらいでした。しかし、私はカタログで見た限りは、危ないと思いました。ちょっと綺麗すぎ、どこまで綺麗かと言いますと、白さや光潔度、仕上げ方方面面から、故宮博物館の蔵品より大分綺麗です。おまけに、高台足に満釉のものや、底部の楷書染付落款もものも入っています。その時代の作りとは思えませんでした。

では、今品を最終的に宣徳窯と決定した決め手は、表釉の”柑橘皮”であります。表釉が軽く縮む現象です。宣徳窯のものは全てこの現象があります。骨董業界では、この現象のないものは宣徳窯とは認めない風潮があるため、とっても重要です。
けれども、この現象があるだから、宣徳窯だと一点絞るのはできませんが、ほかの方方面面から見ますと疑い点はありませんでした。
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龍泉窯青磁一統尊
H161 お問合せ 元と明の時代の龍泉窯は”龍泉”の名前を沿用したが、北宋の時代の龍泉窯とは場所は違います。宋の砧手青磁と比べると、無論青磁の魅力や、形作りも負けます。
天龍寺や、七官と呼ばれるものは、大まかに元~明の龍泉民窯のものであります。元~明早期の龍泉窯は緑深いで若干どろどろ感じのものは天龍寺で、明中後期になるとだんだん色は翠青になって、透明感の高かめたものは七官青磁。一般的には七官青磁の方が磁貫が多いです。

1970年代の発掘より、明の時代に、もう一つ龍泉官窯が実証されました。窯後は龍泉処州に有ります。土は黒い、官用品を作っていました。存在した時期は短い、台湾故宮博物院場合は、処州官窯の遺品を”明処州龍泉窯”と表記しています。相場は明中後期のものよい十倍以上高い。

明の時代海外へ輸出された青磁ものは大抵龍泉村の民窯ものです。土は景徳鎮に似ていますが、ちょっと荒い。厚手で、形作りはあまり上手ではない、素地に火焼紅色があります。

この品の形は明龍泉窯によくある「一統尊」と呼ばれる瓶です。青銅器の尊は原型です。立筒状で、成型しやすい。中国語の”筒”は”統”と同じ発音ですから、”江山統一”の意味を取って、「一統尊」と呼ばれます。当時、ほかの窯はこの形はあまり作っていないようです。

古朴な成型と重厚な作り、高台裏中央は元代工芸特徴のすこし出張っています。高台足は火焼紅色は深い。青磁色は七官青磁の翠青より、少し天龍寺青磁の色合いも感じます。どろどろ感覚な青釉は透明感もあり、厚く掛けられ、高台へ垂れ込み、磁貫も見れます。牡丹文様の削りは凸凹で、元末明初の風格として認めます。
時代 元末明初 龍泉窯
銘款
サイズ 高さ34.5cm 最大胴径約16cm、口径8.8cm 高台径約11.5cm
詳細写真
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紫金釉長頸瓶
H164 お問合せ 天目釉の一種です、宋金の時代には柿色の窯変は”黄天目”とよばれました。明宣徳年から、伝説により、伝統の柿釉に金粉を混ぜたため、金属艶をだしましたから、”紫金釉”と呼ばれました。当方の調べより、”明清の柿釉は紫色の紫金土と呼ばれる土から調製したため、金属の艶があり、紫金釉とよばれました。”との一説があります。

確かに、この種の品は故宮博物館の場合は、”紫金釉”と表記しています。日本では、概にして、柿釉に入るですが、吸坂手と似ています。

土は荒いから、景徳鎮のものではない、福建省あたりの窯が作った輸出品だと思いました。ちょうど中国福建省の友人が来日しているところ、見てもらいました。呉須赤絵の窯元(ミ章)州窯の土と確認してくれました。

章州窯は明末清初に呉須赤絵の日用陶磁を日本へ輸出しました。清早期、紫金釉が流行るしているところに、後継産品として、紫金釉の輸出品も作っていました。この位の花瓶の遺品は日本でもなかなか少ないです。

ひとつ特徴ですが、古技の高台壁内側斜め削り、高台足底も内傾環切という非常に特別な工法であります。高台足のみ、半柿釉塗りにより補強していますが、大分擦り取られています。確かに、章州窯は土は荒いため、呉須赤絵の時代から、皿の底に柿釉を塗る慣例がありました。
時代 清早期三代 建窯系
銘款
サイズ 高さ26.2cm、口径:5.4cm
 底径:8.6cm 最大胴径約13.5cm
詳細写真
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豆青釉錫口蓋付き茶缶
H163 お問合せ 豆青釉は明清景徳鎮青磁の最上手です。宋砧青磁を志向して作ったもので、発色は半分粉質半透明のものです。藍味の強いものは清康煕晩期~雍正初期です。(なお、豆青の中翠青色のものは冬青釉と呼ばれます。)

その錫口の付けから看てもわかるほどの古作であります。大変良好な状態で、年代な艶は絶大です。中国古陶磁の愛好者はだれでも、美しいと思うほどの古陶磁なりの美感を発しています。

この茶壷はこれから使うのはちょっともったいないです。美しく、分かりやすく、重要な古美術品ですから、ガラスケースに入れて展示してください。

なお、錫口は馬蝗絆による固定です。当方の観察では、蓋下は釉薬が掛かっていないため、錫口はオリジナルの作りでした。
時代 清康煕晩期~雍正初 景徳鎮窯
銘款
サイズ 高さ10.4cm、蓋径:3.5cm
 底径:6.8cm 最大胴径約10cm。
詳細写真
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染付唐花草碗
H165 お問合せ 嘉慶年の民窯良品です。表釉青亮光滑であり、線描だけ使った唐花草文様な清中期民窯の特色です。同類品と比べますと、この品の描きは大変工整であることは認めます。
時代 清嘉慶 景徳鎮窯
銘款 高台裏染付鉄線款「大清嘉慶年製」
サイズ 高さ6.8cm、口径15.6cm 底径6.7cm
詳細写真
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日本陶磁
鍋島染付霞木犀文高台皿
D206 お問合せ 鍋島高台七寸皿、確りとして重量感あり、時代の艶はなんともいえない気持ちいいです。描きは「霞木犀」文と言います。
時代 江戸後期
銘款
サイズ 径約20.5cm、高さ約5.8cm
詳細写真
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仁王窯壺屋焼花瓶
D209 お問合せ 非常に迫力のある壺屋焼の花瓶です。三つの窓絵はそれぞれ風情があり、沖縄の焼き物の豪放的な風格が思う存分楽しめるかと思います。仁王窯の一流品です。
時代 現代 沖縄
銘款 高さ21cm 胴径18cm
サイズ 底部に描銘[仁]、共箱。
詳細写真
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黄瀬戸菖蒲手大根文輪花鉢
D220 お問合せ 桃山時代黄瀬戸本物です。菖蒲手と呼ばれる艶のよういゆず肌のタンパンや鉄彩を打ってある黄瀬戸の最上手のものです。井上世外所蔵重文の”黄瀬戸菖蒲文鉢”は”菖蒲手”の名前の由来そうです。年代ものの使用感がありますが、疵なしの完璧な品でございます。詳細写真の最後に何枚か重文級の黄瀬戸参考写真を添付しています。この品まったく遜色しません。

この品の釉肌の様子は根津美術館所蔵黄瀬戸宝珠香合と合致しています。やや厚めで、油揚げのような艶に色深い貫入が入ってます。磁貫が作った非常に魅力的な文様はまた一層好風景になっております。鉄彩、タンパンは色濃いで鮮やか、輪花刻みの深鉢です。
裏も黄瀬戸釉掛けですが、使用によりスレています。地は瀬戸に砂土のようです。箱書きによると”本山土”であります。重文級です!!!
時代 桃山時代
銘款
サイズ 径約24cm 高さ約5cm
詳細写真
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初期伊万里白磁大徳利
D225 お問合せ どこの国も、白磁の始まりは青釉を無色に近い透明釉へ改良した結果であります。白色の発色は白い地色や白化粧によるものでし。

日本の場合は文禄期初期伊万里と呼ばれる有田窯では、朝鮮陶工からの伝え出、初期伊万里染付を出来る前に、灰色あるいは青色ぼいの透明原始白磁を作っていました。17世紀半ばに、最初東インド会社と貿易した時はの品もこの初期伊万里白磁でした。まもなく、色絵器の登場と同時に、中国職人の伝えで、本当意味上の白い釉が開発されました。柿左衛門窯色絵に使う”濁手”と同時に、有田窯の青く、黄く、粉質で、濁る白釉は古伊万里と呼ばれます。その時の中国は清早期にあります。

この品の白釉の特徴から、濁る白磁が登場した直前の初期伊万里白磁に帰類します。透明な上釉は光沢あります。軽く、青味と黄味、下地の化粧白とシンフォニーして、ひとつ特殊な色調の美感を演出しています。年代による形成した、薄く掛ける染めやと雨糸のような磁貫は一層な侘びしさが備えます。成型上は相当上手だと思います。現存がすくない、大変展示に向いている伊万里白磁の逸品です。
時代 江戸前期
銘款
サイズ 高さ:31cm 最大胴径約:18cm
 底径:9.4cm 口径:4.7cm
詳細写真
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古伊万里蛸唐草徳利
D226 お問合せ 古伊万里焼の中でも早い時期の江戸中期のものですが、早期蛸唐草文様は粗曠豪放、染付は濃重であり、青味の強いどろとした白釉を薄く掛けます。

造形の歪みや、飛青、呉須の濃淡さ、縮釉、釉抜、高台足の砂など、一つ時代の風貌として、一期一会な侘び寂びであります。なかなかの絶品です。
時代 江戸中期
銘款
サイズ 高さ3.725.5cm、口径3.0cm
 底径cm。最大胴径約15.3cm。
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古伊万里染付花鳥絵徳利
D227 お問合せ この品の見所は、濁った白釉の青味は大分収めています。濁白に近い。染付の唐花鳥絵はシンプルでいかにも伊万里焼らしい、肩部に桜絡文飾ります。
明らかに、線描きと塗るには2種類の呉須を使っています。塗りには色の濃淡表現を考慮していったかと思います。時代造形の歪みと共に、一つ古伊万里の芸術品を作り上げました。
時代 江戸中期
銘款
サイズ 高さ27.5cm、口径3.5cm
 底径約10cm。最大胴径約16cm
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ほかの古陶磁
ペルシャ藍釉子持壺
D222 お問合せ 十二世紀ペルシア(波斯)地方のカシャーンの発掘品です。今はイランにある場所ですが、十二世紀はトルコ系の王朝セルジュク朝で、ペルシア陶芸の最盛期と言われます。海のブルー色の青釉は多く看られますが、この品のような紺碧な青色は非常に珍しい。過去、現在、将来も人々を魅了するに違いありません。

鑑識箱に”瑠璃”とありますが、コバルドを釉に溶かした作りを指す。この壺はの青色深く明るい、紫調の紺碧ですが、波斯産世界最古のコバルドの”スマトラ”によるものです。このスマトラは中国の元青花の染付料として非常に有名ですが、14世紀初めに発掘尽くしました。古代インドは大仏像の髪を染付けた顔料です。中国名は”蘇麻離青”、日本は古くから”紺群青”と呼ばれます。
時代 12世紀波斯
銘款
サイズ 高さ:22.3cm 幅約15.5cm
詳細写真
記録によると”スマトラ”を産地の陶磁器の染付に使ったのは非常にすくないです、ほとんどは輸出されていました。その価値は当時は金よりも高いでした。この壺ほど濃い瑠璃釉を作るため、染付絵付より数百倍のコストが掛かると思います。この花壺を使う者は王様や宮殿しか考えられません。博物館に入れると上級収蔵品になるぐらい絶世絶代な貴重品です。
比較的に、スマトラを使った元の時代の景徳鎮青花器は1億単位の品です。そのなかスマトラ顔料の元代瑠璃釉器は世界中現在12点しかありません。去年HKクリスティで1点の元瑠璃が出ました。落札価格は約4.6億円でした。この品は波斯のものですが、もともと波斯現地の染付は元青花よりすくないです年代も早いですから、2点目があるかどうかは分かりません。その価値は測りません。
注1:子持ち壺は花瓶です。
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漆工芸
唐物堆朱香合
H70 お問合せ 堆朱の中国名は”剔紅”です。”紅漆を削る”という意味です。伝えは唐の時代から堆朱工芸は始まり、宋の時代の堆朱遺品(香合)は一点故宮博物館に収蔵されています。明と清両代は唐物堆朱工芸の盛んだ時期でした。多くも日本へ伝来し、堆朱香合も江戸時代の茶人に好まれたとか。
明の時代の作品は木地厚手で、重量感あり、漆の削りは円滑で浅く、表へ盛るような立体感です。地文はよく数種類を使い、空や、大地、海と背景の違いを表します。光沢もよい。し。時代優品です。
清の時代の作品は若干サイズ的大きくなります。木地へ切り込むような深い彫刻で、縁部は鋭いです。光沢よりも明るい紅色の感じです。
では、この品見てみましょう。若干収めたサイズで、しっかりした重量感あり。底や縁部の小さいスレから木地は確認出来ます。盛るような山水亭台の風景は円滑な用刀が分かります。山々や木は何重も重なり、遠近感を演出します。空は七宝繋ぎ地紋、水は青海波文。ところところ丁寧な文様彫りが尽くしています。大変上品な品です。
時代
銘款 無銘
サイズ 径約6.7cm
詳細写真
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金彩漆絵彫仙人図泥盆
H141 お問合せ 古渡り初出の品です。固めた澄泥を浮き彫りし,素焼してから、漆で着色したもので、非常に珍しい品です。

中国は新石器時代から陶缶の上に漆で文様を描くことがありました。漢の時代には大変綺麗な漆絵の壺などは発見されています。歴代に色々の器に漆絵を応用して、唐の時代はすでに彫漆工芸がありました。明清は堆朱など気が遠くなるほどの漆工芸が出ました。清の時代宜興名工楊彭年の漆絵朱泥器は中国国家博物館に収蔵されています。

この品の用色は重厚壮厳、宮廷様式の獣面雲文のモチーフを周りに飾り、縁部は金彩回文、中央は仙人が炊茶している様子です。明の時代盛んでいる道教美術品の一つだと思います。道教のお宮に飾るための特製一点もので、格式は高いです。
時代
銘款
サイズ 径約32cm 高さ4cm
詳細写真
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木造吉祥天像★天平文化★当店補色
G34 お問合せ 古いお寺出の天平時代の木像乾漆吉祥天立像です。重宝級の仏像です。素晴らしい彫刻だと思います。当店による補色しました。<BR>
手元に来た時は、真っ黒の漆を塗っている状態でした。しかも古漆ですから、漆皮はぼろぼろ落ちってあちこち白地を暴露していて悲惨な状態でした。

多少仏像の知識のあるかたは分かると思いますが。このような唐婦人の風貌と服装の仏像は天平時代の作りです。天平初期は鑑真和尚が連れてきた唐の職人は奈良の寺で唐人顔の仏像を作っていった。天平中後期には日本の職人も習って唐人風の仏像を作り始め、
段々仏像の顔形は日本人の顔になりました。天平時期の仏像はその前の白鳳期の童子笑顔とは変わりまして、どうかリアルな大人顔になって、瞑想な面目をしています。天平時期の仏像職人は国から大変優遇されていたため、この品のような優れた彫刻は古寺に珍蔵され、国宝や重文指定されているものが多いです。天平以降はこのような風格の仏像は作っていなかったと思います。

推測ですが、この仏像は天平の時代の作りであれば、着色は黒一色のはずはない、黒漆の状態と質地からみれば、おそらく江戸時代に塗り立てたものかと思います。ほか木造の地から材質や、年代感、作り方も見てみたい気持ちもあった。表の黒漆塗りは後塗りであれば、外したほうがいいではないかと思いました。
時代 天平時代
銘款
サイズ 台付きサイズ
高さ:31cm  重量:341g

詳細写真A 詳細写真B
詳細写真C 詳細写真D
詳細写真E
水で洗い内にすべての古漆が落ちました。木地は杉です、非常に乾燥しています。本体は手足以外は一刀彫りの内?りしています。台との繋がり竹籖で綱ています。背中は穴三つ、元々背光部分があったかと思います。木地の古い補修2,3箇所が見つかりました。非常に幸いなことですが、<b>原装の着色は僅かに残っていました!!!</b>当方の判断はただしかった!!!すこしだけでも、天平期の漆は金より貴重と言われました。当方としては重要なのは、補色の色調決めの根拠がありました。素地はこの様子です、顔、裾の流れは素晴らしいものでした。

木胎を痛まないため、厚い地を作りました。すべて水融性材料で、サンドもかけませんから、仕上げは多少浮腫みがありますが、質感を出す効果もあります。
色の選定は残留した古色部分と天平時代の吉祥天像を参考しました(記録によると天平期の仏像の用色は基礎色は”鉛白、銅青、朱紅、紺黒”四色です)。当方の漆芸不熟なところがあります、今の補色に気が入らないければ、水に30分戻せば、元通りの素地になります。専門の漆工芸師に頼んでも好いかと思います。

当方は高く売るために綺麗にしたわけではございませんが、一つはせっかくの仏教美術品ですから、気持ちよく迎えられるならいい。一つは善行としてやっていました。”金身を再造”して、神さまに報われると思います。

吉祥天は仏教に於いて、繁栄幸運の女神です。功徳天とも言われます。神道の神でもありますが、金運や美女の象徴として、古代の貴族達に崇拝されていた。およそ室町時代から、七福神の弁財天に位を譲り、庶民の福徳の神になりました。
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東洋彫刻 100%国内蔵出品
本水晶玉2点
F80 お問合せ 豪邸放出品です。年代もののAAAクラスの純浄天然水晶玉2個。直径105mmと909mm、鑑定結果は無垢無色雑質見当たらず、天然クオーツ、ロッククリスタル(水晶)宝石です。相当珍貴です。
宝石店頭の販売価格は新渡りの無垢天然水晶玉90mmなら90万以上、103mmなら180万以上、106mmの天然ものはまず見当たらない、最低200万以上になるかと思います。ヤフー上宝石店の出品もありますので、その価格と品質紹介をご参照して、当店の品と比較してください。新しいものは多少雑質が見当たるぐらいのクラスですが。当品のような年代もの、まったく雑質も見れない品は東京で探しても見当たらないと思います。持ち主はすぐ換金したいということで、市場価格より50万円引きで出品させて頂きます。もうちょっと相談してもOKですから、天然ものご購入予定ならば、当店をよろしくお願いします。
財産として価値が下がることはありません。しかも家に飾っとくと健康促進、精神安定、疲労回復などいろいろ体にいい効果はあります。この作品のような年代物の特大天然水晶玉2個はパワー全開です。
作家物の「光利作銀粉溜水晶波玉台」が付きます。台は波の背景を作り出しています。
時代 近代
銘款 鑑定書付き
サイズ 水晶玉が台に載せた状態のサイズ:高さ21.2cm 幅37.5cm 奥行き12cm。 共箱2点。
水晶玉:天然本水晶無垢無色無疵 径106mm一玉と91mm一玉。
光利作銀粉溜水晶波玉台付き
詳細写真
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白玉鹿鶴同春遊環瓶
F79 お問合せ この品は詳細写真最後の参考品と似てます。あれは2006年HKクリステが出品した清皇室用の白玉瓶です、掌より小さいサイズのものですが、落札価格は驚きですね。
白玉瓶は時代の貴族や金持ちの象徴的な装身具の一種です。実用性としては貴重な香料や薬の入れ物として使っていた、持ち歩き便利な扁瓶の形が多いです。
時代 清中期
銘款
サイズ 高さ17cm 幅11cm 厚さ4cm。重量:5150g。
詳細写真
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乾隆ガラス雲鶴の図花瓶
I3 お問合せ やや透明でピンク色の胴体はたくさんの気泡があります。被せ部分は不透明な色ガラスで海の生物や、青海波、鶴と昇る日などの文様を作っている。朝日に染めるピンク色の海水のイメージを追い求めているでしょうか、とても綺麗です(花瓶ですから、ちょっと水を入れて見たいですね、どんな感じでしょうね。)。胴体はやや不規則で、吹きガラスはまた至難なワザの時代の創作品です。足部は三つの怪獣と青海波で出来ています。大変丁寧な作品です。乾隆年後期、同類品中の大掛かりな作品です。
時代
銘款
サイズ 高さ22.8cm 胴径10.5cm
重さ647g
詳細写真
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カパの牙山水毛彫詩賛
F66
お問合せ とっても上手な唐人山水毛彫、大幅で巻物のような風景です。詩賛に落款あります。山水の彫刻および文字の彫りはその上品さは認めるでしょう
清の時代の作品です。カバの牙一本丸ごと研き上げて、綺麗な飴色しています。よくも保存されてきた、大変な時代珍品です。
時代
銘款 落款はxx詩、
庚午之秋、xx印
サイズ 左右幅28.5cm、立てた状態の高さ13.5cm。重量588g。
詳細写真
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粉彩南天絵ガラス小瓶
F85 お問合せ 中国19世紀清朝、ガラスの瓶に粉彩を付けた品です。透明で澄だ水色のガラスで、鉛ガラス特有な光を発している。純色な背景に爽やかな粉彩絵具で、本の数筆の南天を描いています。映し合がとってもよくです。もともとは香料瓶だと思いますが。太った胴体は可愛いです。なかなか出会えない時代逸品です。<BR>
蓋を付けると香水入れ用、サイズもぴったり、卓上置くだけ目が惹かれます。魅了的な時代逸品です。
時代 19世紀(清朝)
銘款
サイズ 高さ8.8cm、胴径6cm
詳細写真
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東洋画 100%国内蔵出品
呉昌碩 八頁花卉冊
A72 お問合せ ご検討の方は、拡大写真と呉昌碩印譜をお取り寄せください
時代 晩清~民国初期
形式 画冊
銘款 すべて、印款書有り、蔵印あり
サイズ
詳細写真
呉昌碩印譜
上記写真左から右の順:

1.秋菊海棠図
書-秋色瀾斑
款-甲子五月十日 八十一歳呉昌碩老缶。
印-「呉俊之印」、「人書倶老」
釈-秋菊と蝦蘭の色相性よい、秋色瀾斑は菊を書く場合よく使う賛文です。老缶とは作家晩年用号、自喩脆弱如旧缶。缶とは陶器のこと。

2.歳朝清供図
書-貴寿無量 子孫富昌 歳朝清供 春風海堂 奠孫先生 大雅属画
款-癸亥四月維夏八十老人呉昌碩老缶時客海上。
印-「倉石」、「苦夷」、「呉」,「人書倶老」
釈-作家お得意な歳朝清供図です。海堂設色艶麗、梅花老枝とライチ首尾呼応、作家典型な構図。歳朝図とは賀正の図、春風海堂とは春風無異、海堂依旧の略、海堂又名は海棠。四月維夏とは詩経・小雅・四月の一句、時客海上とは上海に客居すること。
同作家七十四歳作中国画掛軸《柯如青铜根如石》(2008年春北京誠軒オークション、落札額44800US$)にも”奠孫仁兄雅属”一句がありました。
3.歳朝清供図
書-聴雨怱無睡 朝来鳥弄姓 古春来隔歳 薄風舞狂生 楼廻窺雲物 樹廬聴咲聲 詩成吾自喜 不負大河横
款-甲寅流秋写畢 茲歳朝詩補空 安吉呉昌碩
印-「苦夷」,「倉碩」、「湖州安吉県門比雲高」
釈-作家お得意な歳朝図の中の秀作だと思います。舞い踊るような草書長文はご堪能ください。姓は声と呼ぶ、古は故とよぶ。咲は笑とよぶ。流秋とは溪水流秋の略 歳朝詩とは賀正の詩 安吉とは作家の故郷安吉県。甲寅年は作家七十一の年。

4.琵琶図
書-五月天灼換葛衣 家々盧橘黄且肥 鳥格金弾不放啄 忍饑未向林間飛
款-丙辰夏六月客海上 去駐隨縁而安 安吉呉昌碩時年七十三
印-「呉俊」、「倉碩」、「一月安東令」
釈-盧橘とは琵琶の古文言、夏に実る。いつも人気高い爽やかな絵柄です。枝と葉の書き方は篆書のように力つよい。

5.牡丹図
書-惜尓国色与天香 佳種移来自洛陽 写此名花贈妃子 風流端不譲三朗
款-甲子春三月安吉呉昌碩年八十一画
印-「安吉呉俊昌石」、「呉俊之印」、「聴有音之音者聾」
釈-国色天香とは牡丹への賛辞、洛陽は牡丹の産地。風流三朗の出典は宋詞「驪山詞三郎年少客」。色使いは端麗、作家の岩石画法にご注目。

6.益者三友図
書-梅花崛疆不允 水仙高潔孤癖 天竹能使歳寒 生色此為益者三友
款-甲寅八月抄呉昌碩
印-「倉碩」、「聴有音之音者聾」
釈-一般歳寒三友とは松竹梅を指しますが。作家の生まれ故郷の南京あたりでは、お正月の切花として、水仙、天竹、梅を使います。歳寒三友の意を喩えます。甲寅年は作家七十一の年。作家が喜ぶアイテムです。この作品は非常に難しい構図を絶妙にできていると思います。
益者三友とは《論語·季氏》に“友直、友諒、友多聞”の事を指す。南宋画家馬遠は最初に松竹梅の図に益者三友の名を付けました。後文人に学ばれる。なお、同≪論語・季氏≫には” 損者三友,友便辟,友善柔,友便佞,損矣”一句がありました。

7.長寿の図
書1-水仙長寿芝不凋 歳晩風光歴無衰 老石一巻天位置 崑崙為子侍紅綃
款1-甲寅三月幾堂安吉呉昌碩時年七十有一
印1-「倉碩」、「安吉呉俊昌石」、「湖州安吉県門比雲高」
書2-以作篆之法作画別開風趣 在古人不知誰是 在今人而不知誰非 識者己領 吾是多言
款2-老缶又書
印2-「苦夷」
釈-作家の曰く”篆法作画”をご鑑賞なれ。水仙と霊芝は長寿草。
紅綃とは紅衣の美人、出典は唐詩。崑崙も長寿の象徴、ここで南天竹を喩える。作家は晩年の自慢作です。

8.蟠桃図
書-千年桃実大於斗 仙人摘之以醸酒 一食所要千万年 朱顔長如十八九
款-丙辰春季呉昌碩於海上時年七十有三
印-「呉」「安吉呉俊昌石」「一月安東令」
釈-蟠桃は千年に一度開花、千年に一度実る。一つ食べれば千年の命を得る。長寿不老の象徴です。ちょっとした灰諧調子の打油詩であります。
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宗湛≪林檎小禽図≫山名義海鑑
A22 お問合せ

宗湛(そうたん、応永20年(1413年) - 文明8年(1481年))は、室町時代中期の画宗丹とも書く。俗姓は小栗氏。

相国寺の画僧周文に水墨画を学んだ。1462年寛正3年)京都相国寺松泉軒の襖絵を描いて室町幕府8代将軍足利義政に認められ、翌1463年(寛正4年)周文の跡をついで将軍家の御用絵師となった。その後、中央での漢画界の権威として高倉御所・雲沢軒・石山寺などで襖絵を作成している。1473年(文明5年)頃までの作画の記録は残っているが、宗湛作の遺品は発見されておらず、宗湛の書き残したものを子の宗継が完成させた大徳寺養徳院の襖絵のみである。

山名義海
明治初日本画家、古画鑑定家。

時代 平安時代
銘款
サイズ 軸124x48.5cm 本紙35.2x38.7cm
詳細写真
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