| 紅緑彩花模様合子 | ||||
| H189 | お問合せ | |||
| 時代 | 元 景徳鎮窯 | |||
| 銘款 | 無 | |||
| サイズ | 高さ約4.3cm、胴径約:6.8cm | |||
| 日本で”古赤絵”と言えば、明の時代景徳鎮釉上五彩器のことです。その前の中国赤絵ものは大低”宋赤絵”に帰属してしまうです。ちなみに、宋赤絵は紅緑だけを使うから、中国は”紅緑彩”と呼ぶ。 小山富士夫が発見した”宋赤絵”の窯元は中国北方の修武窯です。今世紀になってから、分かったことですから、それから、中国もいろいろ発掘したので、分かったことは、修武窯の近くの磁州窯系も赤絵器を作っていました。だから、宋赤絵と言いますと、ほとんど中国北方面の話です。その時代景徳鎮はまた青白磁を作っている、それほど有名ではないです。 そして、元後期景徳鎮に窯業が集中したことで、繁盛して作り出したのは、中国初の釉下彩の”元青花”と”釉裏紅”でありました。明永楽官窯が登場してから、作品が豊富多彩になりました。京都国立博物館に明の”赤絵皿”がいろいろ有ります。随分古い宣徳年のものも一点があります。釉上彩絵としては、すでに大変典雅にに出来ています。しかし、明宣徳の前、明永楽官窯の赤絵は聞いたことがありません。中国と日本のすべての博物館を探しても、明宣徳以前の景徳鎮には五彩或るいは紅緑彩は存在しないようです。 |
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| 景徳鎮は宣徳年になって、行き成り天から賜われたように、天才的な赤絵を作り出したのようだ。これは近代中国考古学の悩みで、つまり、明宣徳から遡って、元の時代景徳鎮窯開業までの間に、初期の五彩技法が存在したのではないかと問い掛かっています。70年代景徳鎮窯跡の発掘から出た残片から、ようやく元の時代と思われる紅緑彩器の残片が発見されました。そのおかけで、現在東南アジアの国の国立博物館で保管されている2点の古朴な景徳鎮製の紅緑彩器を”元の時代のもの”と年代の定義が出来た。 元景徳鎮紅緑彩の様式が分かった今も中国では一つの完全品も発見されていません。元青花や元釉裏紅のように、ほとんど東南アジアで発見されていました。元軍の遠征と共に、東南アジアへ多くの景徳鎮陶磁器を運ばれましたが、東南アジアの方はこれをよく大事に扱い、お墓まで持っていたですが、中国の人は元の磁器をあまり大事にしていなかったようでした。 私なりに、歴史的な背景からこの現象を考えてみました。元朝廷が全国の磁業を景徳鎮へ集中してから、明永楽官窯立つまで、50年立っていなかった。しかし、明永楽窯と其の後の宣徳窯の磁業上の進歩は日新月異でありました。日常的な目からものを見ますと、今の器は丈夫で薄い、綺麗で安いならば、親父の世代に使われていった使い勝手の悪い物を捨てられているはずです。しかも、元のものは品質が悪いだけではない、前代のものですから、立ちも悪かったので、お墓までは持っていけなかった。 確かに、元の朝廷の趣味で上質な青白釉の器を朝廷用として作っていました。青花や彩色磁器については民用品ばかりでありました。元青白磁の官用品は多少残っているですが、元青花や元釉裏紅は指で数えるほどとっても少ないですから、天文数字の相場です。 その上、元紅緑彩の完全品は中国にはないです。近年発掘された残片だけが考古博物館に大事に収蔵されています。釉上彩は低温焼成ですから、落ちやすい。土に埋められると色々化学反応がします。<BR> この品ほど、スレ、土シミや顔料の銀化現象などがあるにしても、完全な風貌が残っています。どれほど貴重か、私の紹介を見てからお分かると思います。 この品は私は関西の骨董商から買い取ったものです。地元の茶道家で数奇屋が珍重していた”宋赤絵”だそうです。状態から見れば、恐らく発掘品です。若々しい緑釉の銀化現象と土シミは結構進んでいますから、雨の多い東南アジアから持ち込まれたものではないかと思います。 (緑釉の銀化現象は一般的乾燥の墓の中は千年、保存状態が悪いならば700年も出来る。) 当然宋赤絵も国宝級です。この元紅緑彩は大名上々な景徳鎮としては、特別な存在であることに違いありません。何れも国宝になるものです。相場は分かりませんが、これで売ってよいと思う価格で出品します。 |
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