| 青花飲中八仙図大壷・初期雲堂手 | ||||
| H167 | お問合せ | |||
| 時代 | 明空白期 景徳鎮窯 | |||
| 銘款 | 無 | |||
| サイズ | 高さ24cm、最大胴径:28.5cm 口径16.4cm 底径15.5cm |
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| 明空白期は明宣徳〜明成化の間で、正統、景泰、天順三代のことです。歴史上”暗黒三代”と呼ばれます。正統年に土木堡の変の際に、正統帝は北方遊牧民オイラト族に捕らわれたため、彼の弟が皇位を継承して、景泰皇帝となりました。景泰皇帝は七宝銅器が好きで、陶磁器はあまり好まなかったので、七宝器が宮内用に流行りました。今も七宝器を”景泰藍”を呼びます。 翌年、天順帝は国へ回復しましたが、太上皇の称号を貰って、実際は軟禁されました。7年後、正統帝は政変を起こし、皇位を重祚しました。それで、年号を天順としました。 お分かりと思いますが、国難民危に相応しい政局不安の時代に景徳鎮の工芸も嶺から谷へ落ちています。この時期の製品には顕著な特徴がありますので、非常に分かりやすいと思います。 一つ:制式上、元への復古風潮が流行りました。壷の場合は逆三角形のような大きな肩部と収斂した足部です。 一つ:工芸上は丁寧ではないです。特に高台足は浅く削り、削り跡の修正はしていません。壷中は薄い半釉塗りですから、繋ぎ目は明らかです。 一つ:民窯の絵付け風格は、雲山霧水、仙人遊士など、夢境のような画風が生まれ、行雲文様を使って画面を区切っているので、日本では”雲堂手”と呼ばれます。雲堂手は”窓絵”の前期と考えられます。 |
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一つ:”分水法”やダミ筆はまた発明されていないため、染付けは基本的に筆一本で塗りか重ねです。このような技法は装飾文様には強いですが。人物山水花鳥を上手く描くには無理がありますから、この時期の絵付けはとっても下手といわれます。人の顔面ははっきりとしない、花草石は冠り形の塊であちこち書く。樹の枝は逆様の人字のように分ける。葉や花ははっきりと描けない。大低布局なんか前置の考えもせず、バランスよく空白を埋めるため、適当に描く場所を取る。結局隣の人物の衣装の帯は逆流れとか、雲の流れ方向も定めがないとか、花木を描く場合は、更に随意さが見られます。唯一曲自然的な曲線美を表現できたのは、雲文であり、宣徳年厳慎の風格から、脱却されたと私はそう思います。 一つ:輸入呉須の”蘇青”は品切れの時期でした。淡藍色の”平等青”の使い始めですが、安定発色ための技法はまだ確立されず、すこし輸入呉須と配合しながら、色々トライしていましたから、さまざまな青い色調の遺品が見られます。暈ける、鬱結する、おまけに、白釉は”水青”と呼ばれるとっても厚いもので、気泡が沢山含まれていますから、絵付け文様はほんとに”雲山霧水”のように見えます。この作品は浅い藍色に紫色感は強いので、輸入呉須を配合した平等青と認識されます。 このすべての特徴は一つ歴史的な記念品を作り上げたことであります。その背景には、人々が悲観的な現実への批判と現実から逃げ出したい気持ちがあります。この品から、難しい時代に生きる可笑しな生き様を窺えます。 注:明早期の”八仙”は李白など、古代豪飲文人達になっています。今の七福神とは違います。 |
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