| 汝窯紫色窯変鉢 | ||||
| H152 | お問合せ | |||
| 時代 | 金(南宋)汝窯 | |||
| 銘款 | 無 | |||
| サイズ | 口径約12.4cm、高さ約8.6cm | |||
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| あまりにも難しい品ですが、造形や発色、年代、状態とも茶碗としては最高の逸品とはだれでも疑わないでしょう!初見の造形は朝鮮半島の紫熊川かと思われますが、ぜんぜん違いますよ。地土も釉薬も、口縁の反りも違いますよ。これは中国のものです! 識箱には”鈞窯茶碗”と書いてますが。前の持ち主もそれを信じていますが、確かに、紫色の窯変色は鈞窯しかないですね。けれども、地土は灰黄色で、表釉適当な厚さで卵白のような艶、繊細な氷裂文や蟹爪文の磁貫は密布していて、縮釉点は芝麻のような黒い点状があり、色のない部分の発色は軽い青色調、なんとなく、汝窯釉そのものであります。 |
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| 鈞窯と汝窯とも基本的の見識では、 鈞窯は窯変がありますが、磁貫入りはめずらしい。厚い濁る釉層で透明感がない。 汝窯は繊細な氷裂文が入りますが、紫色の窯変はめずらしい、釉薬も鈞窯より薄い。 では、この鈞窯釉と汝窯釉を股かけるような出来物はどこの製品ですがと、過去の知識に尋ねるとかなり難解な問題になりますが、 けれども、年代的にはそれぐらいがあると思います。 ここでは、ちょっと新しいをしてから、結論へ導きます: 鈞窯の窯跡は宋の鈞州でしたが、汝窯の窯跡は宋の汝州でした。鈞州と汝州とも河南省の地方ですから、隣り合わせです。陶芸の原材料の土や水、草木などはほとんど似たようなものですが、結果の違いは配合や製法の違いであります。だから、中国骨董界には””鈞汝不分”という言葉があります。区別しにくい品はかなり存在していますが、評価的にはまた別の要素に影響されています。 北宋の官用陶磁は定窯→汝窯→官窯→鈞窯という年代順があります。その内、官窯以外は皆もともとは民窯でありました。だから、定窯製の官用品はわざわざ”官”の銘を押しました;そして、汝窯製の官用品は"奉華"銘があり、汝官窯と呼ばれる場合が多い;鈞窯の官用品も数字の銘を押しますね。だから、定窯も汝窯も鈞窯も、官用品と民用品の区別があります。 ここでは、話は汝窯へ絞ります。 河南省臨汝州の窯は汝窯です。北宋中一時官用品の注文を受けたから、文献に記載され、相当有名になりました。臨汝州の青磁窯の歴史は実は唐の時代から元まで存在していたですが、それは、北宋汝窯(日本では汝官窯と呼ぶ)と区別するために”臨汝窯”と呼ぶ場合があります。ほとんどの場合は”汝窯”と呼ぶです。 汝官窯と呼ばれる窯も北宋中に汝窯の一部でしたが、北宋官窯が出来た後も臨汝地方の窯はそのままの青磁を作りつづけていました。そして、北宋後期に鈞窯が評価されたから、臨汝地方の窯は鈞窯釉も写し始まったのであります。それから、元初期までに存在していた。 と言うわけで、”汝官窯”の命名は日本語であり、実に誤った言葉です。汝官窯という官窯は存在していなかったです。だから、漢文の中は昔も今も”汝窯”しかないです。 話が終わりましたが、北宋汝窯のものには紫色窯変のものはまた未発見ですが。金代汝窯の製品のなか鈞釉のような窯変するものが存在しています。私は、この茶碗の窯変色と模様はまさか造化そのものと感心しています。まるで酔美人の顔ですから、”酔貴妃(ようきひ)”との銘を付けたいと思います。 |
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