中国美術福縁堂へ

中国古陶磁大系
古窯土器 黒陶 白陶 彩陶 紅陶 印文硬陶・灰陶 原始磁器
青磁(青釉) 灰釉 原始青磁 天青 粉青(帖手) 官釉 哥釉 梅子青(天龍寺) オーリブ緑(七官) 豆青 飛青
青白磁(影青) 翠青 鈞釉宜均 炉均 広均
色釉 緑釉 三彩釉 白釉 卵白釉 黒釉 黄釉 紅釉(辰砂) そば釉 藍釉(瑠璃)  天目釉  褐釉(柿釉)
釉上彩 紅緑彩 闘彩(豆彩) 五彩(赤絵) 素三彩&法華&交趾焼 金襴手 琺瑯彩 浅絳彩 色地彩絵 粉彩 水点桃花
釉下彩 釉下五彩 釉下三彩 釉里紅 青華(染付) 

日中古陶磁用語対照表

(分類番号は当店用ですので、特別な意味がございません。)

古窯土器
技法 発生時期 窯元 写真 説明
AC1 黒陶 新石器時代 東南沿海部
AC2 白陶
AC3 彩陶 黄河流域
長江流域

西漢彩陶壺
AC4 紅陶
AC5 印文硬陶
灰陶
商・周 北方地区 漢の後期の高温灰陶は
灰釉へ参照
AC6 原始磁器 西周原始磁壺   戦国原始磁錞与
戦国原始青釉編鐘  西漢原始青釉三足二耳壺
同時代に発生した陶芸:
原始青磁へ参照
緑釉へ参照
AC7 東漢黄釉陶碗 裴李岡文化


青磁(その1)
技法 発生時期 窯元 写真 説明
AH0 灰釉
漢の時代
古代窯の焼成中の器に降り注ぐ窯灰が表釉(自然釉)を形成したことが発覚された。後わざと草木灰を原料とする釉薬を使うようになりました。紀元前の古窯から灰釉の使用例がありました。その後、石灰など加え、透明感を引き出すことようになりました。
中国一番有名な景徳鎮窯も最初使用した上薬は灰釉でした。灰釉は色釉の発生とは緊密に関連していました。宋の時代早期景徳鎮窯は灰釉を色釉の助融材として使ていましたので、各種色釉も灰釉の透明感ある緑色帯になっていました。景徳鎮窯の早期白磁は「青白磁」と呼ばれるわけでした。(日本の古瀬戸窯も灰釉でした。)

原始青磁(東漢の時代)も高温灰釉から改良したものと考えられます。

基本的には光沢強い薄い釉です。灰色~土緑まで色調の不安定になり、近代まで使用し続いたです。後期の灰釉は精錬した石料から作り上げたため、ガラス質の透明感を持つ、湖緑色に発色したものが多いです。元の時代灰釉酒壺
AH1 青白磁(影青) 北宋~
南宋
景徳鎮窯系
湖田窯
文献記載により、北宋期中国華南地域の景徳鎮あたり(伝湖田窯)が最初焼き始まった。当時の景徳鎮はそれほど大規模な窯群ではなく、宋の名窯に名を上げられない程度の民窯でした。元々白磁を作りつもりだと思われますが、水土の関係で、極軽い青色調を帯びた釉薬が作られた。器の凹み部分に溜まり込んだ厚い釉は青く影るように見えた。その”隠約”的な青色調と釉面の玉質感は中国の美文化の深い部分に触れたため、博大な人気が得た。

北宋、南宋青白磁、影青参考品

しかし、考古学的には北宋の時期の景徳鎮についてはまた未明な部分がたくさんあります。けれども、元の時代末期からの景徳鎮の影青釉の歴史は基本に明らかであります。現代まで焼き続いています。透明感は高め、色調は若干青緑になります。

明の早期から、染付器の普及により景徳鎮の主流は影青から、白磁(卵白釉)へ譲りました。昔叶えなかった青磁の夢を追い続いた、それは、宋の青磁を写しながら、景徳鎮流の影青流のマナーも思う存分表現しました。例としては:浅い陰刻文に釉溜まる色変化を表現する。
景徳鎮青白磁標本
現代景徳鎮も自然発生した影青の隠約な表現方式を応用して現代芸術品を作り上げた→

近代写しの影青釉は透明感がなく、粉質の暗い青色です。
AH2 翠青 明永楽年 景徳鎮窯系 明永楽年景徳鎮焼成した淡青緑の釉、人気があります。清の後代の窯から多くの写しが作られています。
翠とは鮮やかな若緑のことです。
AH3 鈞釉 北宋 鈞窯系
北宋天青窯変
天青:早期製品は柴窯と汝窯の天青を写しています、窯変は少ない。

月白
:五代柴窯の「雨過天青」釉の写しとして作られていました、もともと鈞釉は乳濁質なので、天青より薄い、白み帯で清澄感は不足ため、世の中から「月白」と名を付けられました
(北宋鈞窯月白釉出戟尊-北京故宮博物館)

天青+窯変:過濃気味の天青色に紫の窯変は美しい:(元)

バラの紫:天青色の基調に霞を写し紫雲のような窯変色でした、鈞釉の最上手とされています。
(金)
基本的窯変色は器に外部にある、内部には色変はすくない。
AH4 宜均 明末期 宜興窯
海鼠釉
基本的には鈞釉写しの乳濁釉に窯変を変えたものです。地は灰黒色泥質なので、広均と共に「泥均」と呼ばれます。
左の「海鼠釉」と呼ばれる窯変ほか、炉均釉の写しもある。
(炉均写し、但し地は陶土)

宜均初創者:葛明祥製海鼠釉瓶
AH5 炉均 明末期 景徳鎮窯系
清中期(乾隆年)
基本的には鈞釉写しの乳濁釉に窯変を変えたものです。
早期炉均釉は銅紅釉から試作されたため、鮮やかな紅色の発色はメインでした。

清末期の鈞釉写し、窯変は全面に散在し、内外ともあります。

近代は異常に鮮明的な青、緑系の窯変もあります。

(乾隆均釉窯変火焰青瓶)
AH6 広均 明末期 石湾窯 海鼠釉 基本的には鈞釉写しの乳濁釉に窯変を変えたものです。地は灰黒色泥質なので、広均と共に「泥均」と呼ばれます。
宜均、炉均の写し

(清の雍正年に磁質の広均釉器は作られていた記載があります。炉均と混同されることもありますが、広均の場合は少ない赤発色点在した青色の窯変でした。)


青磁(その2)
技法 発生時期 窯元 写真 説明
AI1 原始青磁 東漢 越窯系
上林湖地域

越窯原始青磁
史上一番早期的な青磁器→西周の時代原始青磁壺
原始青磁は高温灰釉から改良したものと見られるため、一般的には低温灰釉は”灰釉陶”と呼ばれ、高温灰釉と原始青磁の区別ははっきりと分別できないこともあります。

浙江省の北部一帯に分布する越窯は、後漢時代に本格的な青磁が焼成された、宋の時代まで長期にわたり、中国の青磁の一大生産地として重要な地位を占めていた。あまり透明感のない土黄帯の青色釉でした。
三国青釉谷倉   西晋青釉羊
東晋青釉羊頭壺 南朝青釉刻文壺

北朝青釉蓮花尊

隋青釉四つ耳瓶

唐時代、越窯の中心地域である上林湖(じょうりんこ)では、「秘色(ひしょく)」と呼ばれる青磁を生産し宮廷にも納められていた。喫茶の流行に伴い、越窯は茶器として大きく発展し、中国喫茶史の著名な文献である唐の陸羽(りくう)の『茶経(ちゃきょう)』では、当時越窯の茶碗が最上位にランクづけされている。また、当時の詩文にも越窯を詠(よ)んだ詩が数多く知られており、なかでも晩唐の陸亀蒙(りくきもう)が『秘色越器詩』の中で「九秋風露越窯開、奪得千峰翠色来」と、秋に越窯の窯を開くと、その釉色の美しさが峰峰の木々の翠(みどり)をすべて奪い取ってきたかのようであったと表現している一節はとくに有名なものである。
唐の時代越窯青釉水注。 唐越窯青釉弁口皿

五代越窯水注
AI2 天青 五代 柴窯 青空の色をイメージした発色を求める青磁色でありますが。そのルーツになる五代の時代の皇帝柴世宗柴栄の御用窯”柴窯”の作品は現存する一番古い「天青釉」として、台湾の故宮博物館に収蔵されています。
お伝えでは、皇帝柴世宗の命令”雨過天青雲破処、諸将顔色作将来”(雨上がりの空に、雲と相映する青天の色を作ってくれ!)の元で製作が初め、出来上がった青磁色は歴代に”雨過天青”と呼ばれるようになりました。その発色はあまりにも美しいから、歴代の人々を魅了され、その発生の歴史も伝説になりました。
中国陶磁の最高峰で「柴窯の一片は千金に値する」とまで言われたが、いつか遺品は失われ、窯の所在地も、いまだに不明である。古来、世界中の研究者が血眼になって捜し求めてきたが、誰も目にしたことがなく、実在を疑う専門家もいる。
柴窯天青皿とされる展示品



北宋汝窯は天青釉の復元を至力しました。独特な玉質感の天青青磁を成功したと見られますが。遺品は極めて少ないので、高価であります。

宋の時代鈞窯”月白釉”、明清の時代の景徳鎮窯など各地で、”雨過天青”を再現しようとしましたが、どうしても一味違いのものが作られてしまった。

清の時代文献「飲流齋説瓷」には”天青一種以康雍官窯為最美、所謂卵色天青也”。この言葉の通り、康煕、雍正年製の天青釉器は評価は高いです。"灰白"味のブルーは真品の面目とされています。
康熙天青
康熙天藍
雍正天青
近代には化学原料により”雨過天青”にソックリの色の製品は骨董市場にはたまに見れます。
AI3 粉青
(帖手)
南宋 龍泉窯 南宋龍泉窯初焼の青磁です。流れのない厚い釉は繊細な質の半透明青玉色がやや白く暈ける。中国は”粉青”と呼ばれ、日本では”砧青磁”と呼ばれた訳は、鎌倉時代に龍泉窯砧形青磁花入があったからでありました。
茶人に珍重されます。
なお、南宋龍泉窯の青磁は粉青一色ではなく、粉青近い色調の変化はよく見られます。

次の写真は中国では”梅子青”と呼ばれる、若々しさが感じる半透明な粉青色です。この発色は後元の時代~明の時代の龍泉窯青磁の基本発色になります。

(翠青:越窯、耀州窯、南宋以前の龍泉古窯、哥釉には、翡翠のような緑色の青磁もある。)
AI4 梅子青
(天龍寺)
元~明 龍泉窯
中国龍泉窯で元から明時代にかけて作られた青磁で、釉色がやや沈んだ暗緑色の青磁のことです。その名は、京都の天竜寺にこの手の青磁の香炉があったからとも言われています。
(元龍泉窯)
中国では一般的には「梅子青」と呼びますが、元~明の時代の梅子青は、宋後期龍泉窯の「梅子青」より、白みはなく、落ち着いた緑色は強いです。明代の龍泉窯作品は陰刻文洋は多く見られ、色合いは粉青~天青まで多変であることは遺品から確認できます。

この時期の龍泉窯の作品は依然として、造形的な素朴さが持ちます。釉層は宋の時代のものより大分薄くなりました。明中後期の龍泉窯後期作品よりも薄い感じです。透明感はありません。磁貫のないものはほとんどです。
AI5 オーリブ緑
(七官)
明末 龍泉窯 明から清の早期の龍泉窯の青磁釉は新しい特徴は現しました。緑よりも翠色で、透明感のあるガラス質の釉層になります。その原因は地理的に近い景徳鎮窯からの影響だと考えられます。

清の時代に入るとほとんどの龍泉窯の職人は景徳鎮に移り、”龍泉窯”風格の作品は景徳鎮窯で作られていますが、黄色帯の鈍い色合いの青磁色になり、青磁技能的には衰退した。同時期、染付器と色絵器の上達により青磁の人気はも後退したと見られます。
AI6 豆青
(東青)
北宋 龍泉窯
北宋龍泉窯
東青とも呼ばれる北宋龍泉窯初の青磁色。青みの強い青磁でした。歴代龍泉窯製の青磁にはこの種の青磁は存在しました。遺品はすくないので、極めて高いものでした。

明清両代、景徳鎮は龍泉窯の粉青(砧手)技法を継承して、新しい発色の”豆青”青磁を作り出しました。基本的には発色は龍泉窯より浅いですが、鮮明的な色合いであるため、絶大な人気を得ましたので、現在の相場は相当びっくりなものです。
名品としては:明早期(正徳年~宣徳年)製の葱色豆青
清康熙年の光沢と深さのある豆青
清乾隆年には多彩な「豆青」器は景徳鎮窯で作られていました。

清中後期には青華豆青、色絵豆青など出現しました。イメージ的には日本の鍋島青磁とは極めて近いものです。
現在骨董市場に出回る”豆青”と称するものは、清の後期~民国期景徳鎮製の「龍泉窯写し」の場合はほとんどと見られます。
AI7 官釉 南宋 南宋官窯 玉質で、ソフトな艶があります、地より釉層の方が厚い、全面網のような深色な磁貫があります。焼具合はそれほど固くない。「紫口鉄足」は南宋官窯の鑑定の手がかりとなっております。遺品のすくないが、一見忘れないほどの魅力的な焼き物です。
米黄色、月白色などがあります。
明永楽官窯青釉標本
明成化官窯青釉標本 
明宣徳官窯青釉標本
AI8 哥釉 南宋後期~元早期 哥窯 窯元は哥窯から名前をえった。南宋官窯のような「紫口鉄足」現象があります。南宋~元早期の作品は粉青、米黄、月白、油灰など呼ばれる色合いがあります。厚い釉にたくさんの荒い気泡が見られます。釉面の光沢はソフトで弱い、「酥光」と呼べれます。「金線鉄糸」と呼ばれる2色、2重氷裂磁貫入りの厚い青磁、その美術性の高さは公認されています
哥釉が存在した時期は非常に短期でしたので、遺品は極めてすくないので、台湾の故宮博物館に数点か収蔵されています。市場に出回る品はほとんど後代の写しだといわれます。


哥窯青釉(上海博物館)

明の時代景徳鎮哥窯写し
清の時代景徳鎮製哥窯写し
AI9 飛青 北宋 龍泉窯
宋龍泉窯飛青瓶
青磁の窯変です。焼具合により青磁釉のなかの鉄分が酸化不足のため、黒~赤色の斑点が表し、その自然な美しい姿は珍重されています。呼び名に関しては、年代とは関係なくその窯変現象を指します。もともと自然発生した窯変ですが、飛青器はその美感は世間に認められました。

元龍泉宋以降の窯にはわざと青磁器に鉄斑を出す製法があります。
窯青釉褐彩
明の時代龍泉窯飛青。

近代の飛青写しには着色によるものがあります

色釉
技法 発生時期 窯元 写真 説明
AF1 辰砂
紅釉
(霽紅)
景徳鎮窯系
(美人祭)
宋の時代鈞窯釉は史上初の銅紅釉、鈞窯釉の発色は紫や、青い帯びの紅色でした。

宋定窯銅紅釉(紅定)  宋定窯銅紅釉(紫定)

元の時代、銅紅を用いた釉里紅は作られています。
明の時代永楽~宣徳年を掛けて、景徳鎮御窯に於いて、初めて純色で安定した紅色の紅釉を焼成した。後正徳年に朝廷がこの色の器を祭器に用いていたため、祭紅または霽紅との呼び名もあった。
祭紅は普通の紅釉のように”ファッション”感覚な艶気がなく、まるで”スーツ”のようなシーンとした穏重なイメージです。紅釉の中の最高級品とされます。中国の古代文献には”祭紅の色は朱霞のこどく、誠に万代の名瓷の冠たる者也、其の紅釉発色の特徴は:絢爛しない、度を過ぎない、垂れ込まない、ヒビ(貫入)しない”と言う。

永楽年の紅釉の発色は部位により濃淡が現れます。
宣徳年の祭紅器はルビーのように深く、隠然と艶を感じますから、「宝石紅」と呼ばれます。

正徳年~嘉靖年までは祭紅を焼いてますが、釉薬の配方は高く、出来合いはあまり悪いため、だんだん祭紅をつくらなくなりました。一般の紅釉器を焼いてました。万歴年~清早期は祭紅技術は失われました。
明永楽官窯紅釉標本
明成化官窯祭紅標本 明成化官窯紅釉白抜標本
明宣徳官窯紫金釉標本  明宣徳祭紅標本 明宣徳紅彩標本

清の早期(康熙44年)、再び景徳鎮の朗窯より辰砂器が復活されました。朗窯器は朗窯紅と呼ばれました。清の乾隆年まで焼成していた。以降官窯が廃止され、その技術は景徳鎮の民窯に傳承されました。
(なお、近代の研究によると明祭紅と清朗窯紅(中の祭紅)の釉薬の化学成分は違いますから、配合の方法も違うだろうと言われます。)

朗窯紅器は試作時期、銅酸化不足により、いろいろ階調の紅色発色の副産品が出きってしまいました。これらの窯変品は当時の文人顕貴に収蔵され、今やそれぞれ色に名前を付けて、大変な高価骨董品になりました。もともと少ない自然窯変ですから、近代には刻意な写し作られていました。
虹豆紅(更に桃花片紅、酔紅に分類されます):ピンク基調の辰砂器、発色は軽やか、雲状で、まるで、桃花が散らした感じです。朗窯紅の最上品とされています。中に銅分酸化不足より緑色まみれのものは、その色の合いは絶妙として、珍重されています。
祭紅珊瑚紅などがあります。
朗窯器の鑑定のコツといえば、”米湯底”であります、落款はしません。

鶏血紅:康熙~乾隆年焼かれた薄手薄釉の辰砂器、発色は鶏血の如く。
牛血紅:康熙~乾隆年焼かれた厚手厚釉の辰砂器、厚釉に血筋が流れるように見える。極めて濃い色でした

乾隆年製祭紅は艶のよい深紅になります。

火焰紅(乾隆晩期~道光、希少)

晩清(光緒)年におよび辰砂の成功しました。色はガラス質の艶があります。

祭紅の場合は落款しないのは普通ですが、一般の官窯紅釉器は落款します。

民国期以降の写しは発色は悪いため、鑑別は容易である。

現代中国の窯が求める紅釉の発色は中国国旗のような鮮やかな、軽い赤ですので、現在の紅釉器は中国紅と呼ばれています。
AF2 そば釉
茶葉末釉
鉄釉窯変の一種です。唐の時代にの窯変で出来た高温結晶釉です。
唐~元、中国北方窯の釉薬に希金属が多く含まれるため、高温黒釉の表面に緑色~黄色の結晶状物ができます。できた釉面には緑と黄色混ぜるお茶葉末の感じが取れるから呼び名を得た。唐~元の茶葉末釉と呼ばれるものは自然窯変は基本ですから、色調多様で、発色部分もばらばらです。
右は元の時代磁州窯の鉄釉の窯変だと思います。

明成化年景徳鎮官窯は初めて、意識的に茶葉末釉を作りだしました。色調子は艶のよい温かみのある黄色で、荒い黒い結晶が混ざっていますから、”鱚魚黄”と呼ばれます。ほとんど鑑賞用の高級品で遺品はすくないです。
清の早期から中期に掛けて多く作られています。
清康熙~雍正年の茶葉末釉は結晶は針状繊細で、釉面へ垂直したため、発色は白みのある青色、毛穴が密布するようでした。(”有茶無末”や”鱚魚皮”と呼ばれます)

清乾隆年~晩清の間の茶葉末釉は黄色、灰色の点状結晶は見れます(有茶有末)。黄味は前朝より多くなりますが、基本的には”蟹殻青”とよばれる、金属艶のある青色調子のものもある(古銅彩)。この時期のものは日本では”そば釉”と呼ばれます。

金粉を混ぜて豪華な発色をするものもある。

清光緒には、明成化黄色調の茶葉末釉を作られました。
AF3 瑠璃
霽藍
景徳鎮窯系 一番早い発見されている銅藍色(日本は瑠璃と呼ぶ色です。)の釉薬は唐の時代の品です。
元の時代の作品は多く見られます。
明の宣徳年には景徳鎮は安定した発色の瑠璃釉に成功し、光沢ある上品さから、”霽紅”器とならべて、”霽藍”器と呼ばれました。
明祭藍標本 明成化官窯藍釉白抜標本

明宣徳官窯藍釉、白抜標本
清の時代には瑠璃釉器は多く作られています。年代遅いほど発色は柔らかく、明亮になり、刻文や金彩装飾ともなうものも見られます。
(光緒年金彩瑠璃瓶)
AF4 黄釉 各地
(康熙鶏油黄)
古窯から作られた、緑釉、白釉の発生と同じ時期だと思います。漢の時代の釉陶器に見られます。土色にしています。
北朝黄釉緑彩蓮弁刻文四つ耳壺
唐の時代は始めて黄色らしい黄色ができました。唐三彩の一つ色釉です。非常に鮮やかな黄色です。

宋の官窯にも多く見られます。
官窯風の落ち着く色です。宋の青磁窯にも多く黄釉器を作っています、この写真は南宋龍泉窯の黄釉器です。
元の黄釉の発色はまた時代を逆戻りしたような感じです。あまり粗相な品ばかりでした。

の時代から、より繊細で明瞭な黄釉になります。黄釉器は皇族の特権とされています。(左写真参照)、その中鶏油のような厚実かつ落ち着いた感じの発色は最上品とされています。(非常に明るい黄色は写しの疑いがあります。)
明鶏油黄標本 明宣徳官窯黄釉標本 明宣徳官窯黄地青花標本
明成化官窯黄地緑彩、黄地青花標本
清の末から現代掛けて、極単的に軽い発色の黄釉も出ました。(光緒年製)
AF5 緑釉 各地
漢緑釉殻倉
早期色釉として、漢の時代から多く焼かれました。以降歴代製品がありました。骨董価値のあるものは古陶時代のものだと思います(漢の時代~宋の時代まで、内唐三彩の一つの色釉としての緑釉器も価値が高い)。
漢の時代の緑釉は多く鉛の成分が含有し、現在発見されているものほぼ釉面には銀化膜帯びであります。
近代発見されている漢緑釉器の中、キューカンバーグリーンとよばれるキュウイ皮のような光沢のよい深い緑色は人気上昇中です。割と銀化のすくないものは存在します。
遼三彩の緑釉一色の器も緑釉壺と呼びます。

元代内府孔雀緑釉


明永楽官窯緑彩標本
明宣徳官窯孔雀緑標本


明早期銅還元焼成した金属艶の緑釉は「孔雀緑」とよばれます。
明の時代孔雀緑釉   明宣徳孔雀緑釉
明孔雀緑標本 明宣徳官窯緑釉標本

清康煕朗窯緑釉


 清の時代孔雀緑釉
AF6 白釉
白磁
定窯 古窯から焼かれた一番基本の色釉です。鉄分は非常に少ない釉薬は白い発色する。白釉陶器から、白磁歴史は長いので、名品だけ紹介します。

隋白釉瓶   唐白釉皮袋壺 唐白釉刻文壺
唐白磁標本

象牙白:古窯では一番有名なので、宋の時代定窯白磁、象牙質の発色がします。

 五代  宋

宋定窯白磁標本
(定窯には上手の”粉定”と日用品の”土定”2種類があります。)

遼白磁(遼上京窯)


甜白:明の時代永楽年~宣徳年景徳鎮製、潤いのある甘い感じの白釉 
特徴としては:表釉光潔無”涙痕”、皿碗の高台内部”満月文”、縁部は”蝦殻青”、光に映ると内部はピンク色の感じがします。
明永楽白磁標本  明永楽官窯白磁標本
明宣徳官窯白磁標本 明宣徳白磁標本
明正徳白磁標本 明成化白磁(蝦青肉紅)標本
清の康熙年の白磁はミルクのような甘さがあるので”康熙甜白と呼ばれます。


の徳化窯は”象牙白”や”ラット白”など名品を生み出しました。
質感のある白さは西洋の潔白とは対照的な美感があります、西洋では”チャンナーホワイト”と呼ばれます。

明徳化白磁標本
AF61 卵白磁
卵青磁
景徳鎮 元の時代景徳鎮の陶芸は”承上継下”との役割を発揮したと言われます。古い伝統を継承しながら、画時代的な技法をいつくか開拓しました。元後期が出現した元青花や釉里紅なお釉下彩は、明の時代で成熟期に向かえ、花を咲きました。

元中期、龍泉窯匠人達は多く景徳鎮に移り住み、青磁や青白磁など伝統的な単色釉を変貌しながら、ひとつ特に注目されている白釉を創立しました。色は鵝鳥卵の色に似ているから、”卵白釉”と呼ばれました今や”卵白釉”と呼びます。

卵白釉の定義は青白色の乳濁釉です。青白磁ほど透明感がない、青磁より厚い。天青色の鈞釉に一番近いです。元卵白磁遺品は元の時代景徳鎮代表的なものとして多く発見されています。 官用銘”枢府”款の卵白磁壺の発見は、卵白磁の身価が一気あがりました。

元の時代には朝廷は”枢府”という機構を景徳鎮に設置して、官用磁器の督製と徴用する役目です。元の時代は”国風尚白”のため、”卵白磁”は白釉として、官用品磁色とされていますので、”枢府青白釉”とも呼ばれました。

技法的には花枝の印文のものが多い(卵白磁が失透明性厚釉ですから刻文は会わない)器物形は大まかに宋の時代に引きついていますが、茶壷の形は幾つかの新しい変化が見られます。


明の時代に入ると永楽年に”甘白”と呼ばれる潔白な白磁が成功しましてから、卵白磁の歴史の幕が下ろした。
AF7 黒釉 各地 古窯の伝統ある釉薬、鉄分を大量含有したため黒く発色する。黒釉陶から黒釉磁器まであります。明の時代永楽年の製品は特に艶がよいから「烏金釉」と呼ばれます。遺品はは少ないです。
清の末期~近代には金彩着色の黒釉器が現れました。

西晋黒釉鶏頭壺
宋の時代から磁州窯の焼き物は黒釉や白釉を施かし、表に掻き落としにより文様を作り出していました。

明の時代の磁州窯は黒白釉の掻き落とし技法以外更に釉下彩と複合応用したため、より多彩な作品は生まれました。

磁州窯掻落器標本
明永楽官窯黒釉標本

黒釉窯変については、天目釉(AG9)へご参照ください。
AF8 三彩釉 唐、遼 黄堡鎮窯 缸瓦窯 唐や遼の時代に複合的な色釉を応用した例です。主に明器として作られました。実用品ではございません。
唐時代の7世紀から8世紀に焼成された鉛釉陶器のことで、鉛釉を掛けた上に、酸化銅、酸化鉄、酸化コバルトなど掛け分けることによって、緑、褐色、藍色などの発色を得る色彩豊かな陶器です。白、緑、褐の三色のものが多いのですが、藍が加わった四色のもの、二色のものなども含めて唐三彩と称されます。

唐の時代南方の長沙窯にも彩色陶器が発見されています。

唐以降は多彩釉器は実用品として各地で作られています。
北宋磁州窯三彩器


明成化官窯三彩鴨標本
AF9 褐釉
窯変
紫金釉

技法 発生時期 窯元 写真 説明
AG01 黒釉天目 吉州窯
AG02 褐釉(醤釉) 南宋建寧窯北宋吉州窯
北宋建窯南宋吉州窯
元磁州窯 宋建窯窯変
AG1 木葉天目 吉州窯
AG2 玻瑁天目 吉州窯
吉州窯
剪紙玻瑁天目 吉州窯
AG3 耀変天目 建窯
窯変天目 建窯
AG4 禾目天目
(兔毫天目)
吉州窯
建窯
耀州窯
AG5 河南天目 天目窯
AG6
AG7 鷓鴣斑釉 建窯
AG8 油滴天目 建窯
AG9 黒釉鉄斑
(河南地域)
建窯
定窯
金・磁州窯
金・耀州窯
ほか河南地域
西夏地域

釉上彩
技法 発生時期 窯元 説明
AE0       紅緑彩

磁州窯  唐三彩以降、最初の実用色絵陶磁、同時期に三彩器を作っています。 色が鮮烈、絵付けは装飾イラスト風 

元以降は景徳鎮窯のみで作ってます。明中期で終了。 
当陽郤窯
(修武窯)
白化粧、発色は”卵白朱紅”。同時代最大な紅緑彩窯。
同時代もっとも精緻な絵付けで有名。絵付けは民画風。

日本では宋赤絵と呼ぶ。
元以降は景徳鎮窯のみで作ってます。明中期で終了。 
 八義窯 窯群が発見されています。製品のイメージは修武窯と区別しにくい。地土はやや黒い、発色と絵付けは若干下ぐらい。

元以降は景徳鎮窯のみで作ってます。明中期で終了。 
 長治窯
元  景徳鎮窯  最新の研究では元の時代から写しが始まったと言う。
 古安南
 明 景徳鎮窯   
(明空白期)


(明中期)

明中期以降は紅緑彩と呼ばず、明末清初の地方窯の呉須赤絵など含めて、色絵へご参照。
AE1 豆彩
闘彩
景徳鎮窯 豆彩とは、成化年に完成した色絵です。素地にコバルトの青い顔料で文様の輪郭を描き、透明の釉をかけて焼き、その上から赤・黄・緑の色釉で絵付けし、ふたたび低い温度で焼き付けたものです。それぞれの色が美しく競いあってみえることから、闘彩ともいわれています。 色の写しあいはよいので、人気があります。清まで焼き続いたですが。技量的には明成化年より落ちています。


成化官窯闘彩標本  宣徳官窯闘彩標本

闘彩に成化款のものは清の朗窯の製品と言われています。
AE2 五彩
赤絵
南宋 磁窯
景徳鎮窯系
紅緑彩も五彩の一種と考える人がいますので、金元明の紅緑彩を参照。

元の時代に色絵の色が増えた上に、釉下彩と併用の技法もあったので、それは”元五彩”と呼ぶ。

明代万歴以降、景徳鎮を中心として盛んになり、嘉靖期にはすでに金彩を加えた金襴手なども登場した。民窯でも南京赤絵
天啓赤絵
万歴赤絵
など多様な五彩が焼かれ、中国国内のみでなく多くの五彩が海外へ輸出される。日本が馴染みの品としては中国福建省漳州窯の呉須赤絵でした。
 

古赤絵:明末清初め景徳鎮民窯赤絵

清・康熙以降は精巧な五彩が官窯でつくられるようになり、粉彩や洋彩など新たな技法も生まれていった。清の康熙年五彩は絵付け下線描しない、絵の風格はより彩色絵に近い。当時としては新しい風格ですから、「康熙五彩」と呼ばれます。その技法は粉彩の発生に貢献しました。


清の中期以降”巩紅”と呼ばれる顔料が以前の紅彩や釉里紅の変わりに、紅色の主な顔料になりました。
AE3 素三彩 &
法華 &
交趾焼
景徳鎮窯系 素三彩の命名は最初出現したのは、清《飲流齋説瓷》“茄、黄、緑三色絵成花文者謂之素三彩”にある。
その定義から看れば、唐三彩や、宋三彩のなかも唐素三彩陶、宋素三彩陶を言えるものがあります。
黄、緑、紫、白、黒使い、あえて赤は使わない、素朴のなか典雅さがあります

明の時代永楽官窯から素三彩を磁器に掛けることで、素三彩磁器が生まれました。”緑地褐彩”または”黄地緑彩”などの品種があります。色分けするため、色釉を掛けるまえに予め文様の刻線しますが、色の交じり合う現象があり、成熟した技術とは言えません。


明成化素三彩鴨は今遺品中一番優秀なものかと思います。


明成化以降は官窯は闘彩器の生産へ写し、素三彩の生産は少なくなりました。
明後期~清早期に、色釉を分界するため、予め刻文するではなく、盛り上げた文様の境界を作り、素焼きした後空白の部分に色釉を掛けるという技法があった。それは、後来”法花”や”琺華”と呼ばれる品です。


清早期(康熙~雍正)は素三彩の繁栄期であり、色彩は更に鮮明で、絵付けも上手、風格多彩。
康熙
康熙
雍正
左の写真は東京博物館所蔵高温白磁「康熙素三彩」の名品です。

明末清初、中国南方地方、台湾、安南地域で、色釉高温陶器を盛んでいた、色使いは緑、黄、茄、白など、景徳鎮の素三彩より色は濃い、光沢は強い。交趾焼とよばれています。(”交趾”とは安南地方を指すことです。)

AE4 金襴手 景徳鎮窯系
定窯
宋の定窯の遺品には金粉を使った色絵器はあります。
清の嘉靖頃、五彩に金彩を施した磁器のことを日本で金襴手と呼んだ。技術的な意味合いよりも様式として捉えられることが多く、他の民窯五彩と同様に日本に多くの遺品が伝わる。器形や文様の多様さと金彩と五彩によるあざやかな色彩は、それまでにない艶やかさを陶磁器の世界にもたらした。
左の写真は明の時代赤絵金襴手。

明永楽官窯金彩標本
AE5 琺瑯彩 清初 景徳鎮窯系 康熙年景徳鎮官窯(御厰窯)にて、西洋の無線七宝絵付け技術を磁器に絵付けを成功した。多彩な色絵磁器は出世した。当時は官製ですので、繊細に絵付けた小さいな器ばかりでした。応用した顔料は主に輸入エメラル彩ですから、色層は若干厚い、触る感じは凸凹です。なお、エメラル彩の欠点として同じ色の色調変化はほとんどないから、絵付けのセンスは七宝焼とほとんど変わらない。

雍正年から、国産エメラル顔料は生産できたから、琺瑯彩器の生産も多くなりましたが、それほど上手ではない製品もありました。琺瑯彩技法は粉彩技法の形成に多く貢献した。雍正年琺瑯彩印章は”寿古”、”清香”などあります。

乾隆年には、内府が景徳鎮から素磁胎を調達し、京の如意館文人を命じて琺瑯彩で絵製。宮内に窯を開き焼成した。品品皆精、底部に赤絵銘記念款、および”金成”、”旭映”、”先春”、”佳麗”印章あり。皇室鑑賞用および外国貴賓答礼用品でしたので、民間には知られていませんでしたが、イギリス女王へ一点が贈送されたため、初めて公開された。民国初期、故宮清室遺品整理時3百数点の蔵品は発見された。後半数以上は外部へ流失しました。

底部直書”古月軒”落款の品は清の晩期の写しだとの伝えがあります。

琺瑯彩器は清の嘉慶年以降は生産されていません。

錦地琺瑯彩 彩料で地文入りの色地を埋め尽くし、絵付けの部分は琺瑯彩で仕上げる。
    
AE6 粉彩 清初 景徳鎮窯系 康熙年末期、景徳鎮は五彩琺瑯彩技法を参考に、粉質の顔料を利用した。顔料層は薄いほか、同色調が暈ける効果があるので、より豊富で軽やかな絵付けができました。顔料もエメラルほど高いではないので、すぐ人気を得ました。

雍正年から、粉彩絵技法大いに発展しました。色絵磁器の主流になり、各地で大量生産されました。

琺瑯彩粉彩の形成期には、二つ、三つの技法を同時に応用した色絵器も多く存在する。特に乾隆年の遺品が多い。

早期粉彩(康熙年、軟彩)の絵絵付け技法は従来の彩絵技法(硬彩)と区別はすくないですから、”康熙無粉彩”との諺があります。

成熟期(雍正年以降)の粉彩技法は、「ガラス白」という下地を作ってから、その上で数十種類に達する豊富な配色で、立体感のある絵を仕上げた。中国粉彩の最高峰とされています。

乾隆年、粉彩を含む複合的な技法を多く取り入れたため。中国陶磁歴史上絢爛豪華な時代でした。
同治年には、粉彩顔料の安さおよび技法の普及により、大量な民窯品が生産されていました。


夾彩とは粉彩の絵具で器面を塗り分けて埋め尽くす技法で乾隆年間に流行した。


松石緑 康熙年焼成した、緑松石を顔料とする色釉上絵です。乾隆年~晩清まで盛期に迎えます。
釉上彩の地色として使用していますので、粉彩の一種とされていますが、焼成は難しく、市場価格も高いです。
AE7 浅絳彩 清末 景徳鎮窯系
光緒年発生した淡い赭色顔料をメインにして、水墨画に近い絵付け技法です(水墨五彩とも呼ぶ)。浅絳彩絵付け風格は粉彩の複雑さはなく、より文人風的な清雅な彩色の山水画のようなイメージで人気を得たが、民国期まで生産した。その新しい絵付け風格は中国現代彩絵の始まりと位置している。浅絳彩は低温釉上彩ですので、時間に立つと色落ちやヨゴレが付きやすいので、それは致命的な欠点でした。民国以降は現代高温色絵磁器に取り代わりました。
AE8 色地彩絵 景徳鎮窯系
明末清初の景徳鎮は、上記各種色絵技法の形成期にあり、多種色付け技法を賞試されました。
遺品に多く見られるものは、黒、黄、青、緑、紅など地色を付けてからさらに釉上彩を施し。日本では分類上基本的には上の色絵技法のどちらかに分類されると思います。
成化官窯色地彩絵香炉標本

なお、清の康熙年と乾隆年には、官窯により明の色地彩絵器の写しも作られていました。、琺瑯彩、粉彩を上絵したものもありました。
清 

釉下彩
技法 発生時期 窯元 写真 説明
AD3 釉下五彩
釉下三彩
清末期 湖南省
醴礼窑
釉下彩の歴史は一番早いのは三国時代でした。すでに陶器に黒色文様を絵付けしてから、釉を掛けて焼成した。唐宋元明清、歴代釉下彩の作品は発見されています。けれども、着色の種類や文様はまたシンプルなものでした。正式に釉下五彩と呼ばれるものは、清の宣統年間、湖南省醴礼窑で焼かれた用色多彩、絵付け繊細な色絵磁器です。
民国初期まで生産したが、後高温色絵磁器に替わられ、遺品は少ないです。

清の康熙年、景徳鎮は釉里紅、青華と闘彩3つの顔料で焼いた釉下三彩器を作っていました。技術難度は極めて高いが、すぐ失傳してしまった。民国初期に釉下三彩写した窯がありました。
AD4 釉裏紅 景徳鎮
ほか
青花と同様に白磁の釉下に絵付を施した磁器のことですが、青花はコバルトを使用するのに対し、釉裏紅は銅紅を用いて文様をあらわしています。
元代にその技術は確立されていましたが、透明釉が用いられることはなく、青白釉を施していたため微妙に青色をした肌になっています。また、文様をあらわすよりも文様を引き立てる色として用いられ、白抜きや地塗りとして使われることが多くありました。これが洪武期に入ると透明釉が施されるようになり、一部に塗り込んだものも見られるも文様を線描であらわされるように変化していきます。釉裏紅は技術的に非常に高度な温度調整が必要となるため、紅色はやや淡く、少し灰色がかったものも多く、また貫入が入る場合もあります。文様は花卉文が多く、牡丹や蓮花、扁菊の唐草文などが主として使われました。洪武期は釉裏紅が最も隆盛した時代であり、その後は技術的な向上は得たものの単調な構図へと変化していきます。宣徳以後は次第に技術が失われ、200年を経て康煕になって復興されるまで暫くの間その姿を隠すこととなります。


永楽官窯鉄紅標本
宣徳官窯鉄紅標本
成化官窯釉里紅標本  成化官窯青花紅彩標本
AD5 青華
染付
元の時代景徳鎮が初めてスマトラ呉須を応用して釉下彩の染付を焼きました。明永楽宣徳年御窯で完成した技法です。

歴代景徳鎮青花詳解
AD6.中国古陶磁用語対照表

陶器:
埴輪 :紅陶、土器
土師器 :黒陶、白陶
須恵器 :硬陶、灰陶


青磁類:
灰釉、自然釉 :原始青釉、灰釉
秘色青磁 :越窯
柴窯手 :天青
官鈞 :宋鈞窯
汝官窯 :汝窯
官窯手 :北宋官窯、南宋官窯
米色青磁 :哥釉、氷裂紋青磁。
哥窯手 :哥窯
飛青 :鉄斑青磁、飛青
砧手、砧手青磁 :宋龍泉窯粉青
龍泉寺、龍泉青磁:南宋~元龍泉窯梅子青
七官、七官青磁 :明龍泉窯
青白磁、淡青磁、:青白磁
天然青磁、青磁 :景徳鎮青磁、豆青等
炉均窯 :広均和景徳鎮炉均
海鼠釉 :宜均


単色釉類:
漢緑釉 :漢代緑釉器
唐白磁 :?窯
磁州窯黒掻き落し :磁州窯白地黒釉剔文
磁州窯白掻き落し :磁州窯白釉剔文
定窯手、宋白磁 :定窯
天目、天目釉、天目手 :天目釉(吉州窯、河南天目窯、建窯)
柿釉 :鉄釉、醤釉
蕎麦釉 :茶葉末釉
黒釉 :黒釉
辰砂 :銅紅釉(紅釉、祭紅)
瑠璃 :銅藍釉(藍釉、祭藍)
南京黄 :明清景徳鎮黄釉
南京白 :明清景徳鎮白釉、徳化窯
吸坂手 :鉄釉、褐釉

釉上彩:
唐三彩 :唐三彩
遼三彩 :遼三彩
宋三彩 :宋三彩
成化彩 :成化闘彩
赤絵 :明清五彩
嘉靖赤絵 :嘉靖官窯五彩
万歴赤絵 :万歴官窯五彩
天啓赤絵 ;明末民窯五彩
古赤絵 :明末清初民窯五彩
呉州赤絵 :明?州窯
南京赤絵 :清初期五彩
康煕赤絵 :康煕素三彩
法華 :元三彩陶
交趾焼 :明三彩陶
素三彩 :素三彩磁器
金襴手 :金彩
嘉靖金襴手 :嘉靖金彩器
十錦手 :色地彩絵、色地粉彩、錦地粉彩
琺瑯彩 :琺瑯彩
粉彩 :粉彩
墨絵 :墨彩
吹墨 :吹墨法


釉下彩:
鉄彩 :鉄彩、褐彩
染付 :青花
元染付、元青花 :元青花
釉裏紅 :釉裏紅
古染付 :明末清初民窯青花
南京染付 :清青花

東洋美術福縁堂へ